平行線という関係

平行線は、決して交わらない。でも、ずっと寄り添って進んでいく。

 

「話し合いは、平行線に終わりました…」
政治がらみ、あるいは経済交渉などについての報道で、よく耳にする言葉だ。お互いに歩み寄ることがなく、議論がかみ合わなかったときに使われる表現だ。お互いの間に大きな溝がある、ということだ。

平行線は、決して交わることがない。だから、関係性が生じない。誰もが、そう考えているのではないだろうか。

でも…と、ぼくは考える。

交差する線は、確かに、どんどん接近していって一度は交わる。しかし、その後は、どんどん離れていってしまい、二度と出会うことはない。ま、これは、関係性の線が直行した場合にだけ当てはまることなのではあるが。でも、なんとなくではあるが、人間関係ってけっこう直行しているような気がする。というのも、人はあまり自分を振り返ったりしないことが多いものだと思うからだ。曲線を描いて生きていくような柔軟な人間は少ないと思う。

多くの人は、平行線の間隔を広めにイメージするのではないだろうか。でも、その先入観を捨てると、いろんなことが分かってくる。

ピッタリと引っついていたとしたら、どうだろう。二つの線は、いつまでも寄り添ったまま進んでいく。決して離れることはない。そう考えてみると、平行線の関係も、けっこういいものに思えてくる。平行線をトレースできるような関係を結べる人を見つけたいな、と思えてくる。

ただ、永久不滅でぴったり寄り添う関係も、実はしんどいのかな、と思う。四六時中いっしょだと息が詰まることもあるだろう。見たくもないことを見なければならないこともあるだろう。

そこで、お互いにどんな向き合い方をするのか、が問題になると思う。ぼくは、交差線・平行線の関係とは別の軸で、向き合う関係と並ぶ関係と背中合わせの関係という3つの関係があると考えている。向き合う関係は、お互いへの関心を第一にしている関係である。並ぶ関係は、お互いが同じ目的を持って進んでいく関係。そして、背中合わせの関係は、お互いの姿が見えなくても、感じあえる関係だ。視覚ではなく触覚、つまり温もりでお互いを受け止められる仲である。

平行線の関係であっても、これら3つの関係を組み合わせていけば、いつまでもその関係を続けられるのではないか、と思うのだがいかがだろう。例えば、夫婦関係。新婚の頃は、お互いに見つめあって、その存在を確かめながら生きていく。そして、歳月を重ねながら、二人の目的を持ち、それをめざして並んで進んでいく。まだまだ、お互いを視覚的に確かめあうことが必要かもしれないが。そして、さらに星霜を重ねると、いちいち目で確かめなくてもお互いの存在が認識できるようになってくる。背中で相手の体温を感じるだけで十分になってくる。

平行線の関係も背中合わせの関係も「枯れた関係」だな、と思う。時間を経ることで醸成される、発酵的な関係だと思うのだ。きっと、こういう関係を結ぶことができたなら、顔には味のあるシワが刻まれていくんだろうな、と思う。そんな関係に囲まれて時間を過ごしていきたいものである。

(0023)

 

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妄想ノススメ

想像から妄想へ。発想の切っ先はは、どこまでも広がっていく。

 

発想術やクリエイティブのセミナーで、ぼくは、よくこんな発言をしている。
「想像なんか、はるかに飛び越えて、もっと妄想しなさい!」と。
すると、たいていの人は、頭に「?」を浮かべながら、困った表情を見せる。
その顔には、「妄想なんかしちゃダメでしょ」とあからさまに描かれているのだ。

そう、いわゆる一般常識というもので測るなら、妄想ごときものは、夢のまた夢、決して実現できっこないことを夢遊病者のように追いかけることとされている。確かに、ある意味においては、ご座候なのである。が、しかしである。養老猛先生ではないが、人はついつい無意識のうちに「壁」をおっ立ててしまう生き物なのだ。自分で立てておきながら、ついにはその壁を超すことができないで四苦八苦する。でも、立てたとはいえ、それこそ幻想の壁を勝手に実際の壁だと思い込んでいることが多いのも事実である。

かつて、何かの本で読んだことがある(題名も著者さえも忘れてしまった)。そこには「認識できないものは見えない」と書かれていた。もし、アフリカのサバンナにほとんど全裸で暮らす人が、靴を見ても、靴と認識できないので、靴は見えない…という意味だったと思う。つまり、靴を知っている人には、靴が靴として見えるが、靴を知らない人が靴を見ても何なのか分からず、景色の一部になってしまうということらしい。分かったような分からないような話である。

同じようなことが「想像」という言葉の中に含まれているような気がする。「想像」といったら、きっと心の中では、「常識ではそんなことしたらダメだもの」とか「そんなことを考えたらプライドが傷つく」とか、いろんな手かせ足かせを自らに課して考えることになるだろう。そういうタガをはめている限り、画期的なアイデアは出てこないのではないか…というのがぼくの持論なのである。

すべての「思い込み」を取り払って、あれこれと考えるのが「妄想」だと考えている。この妄想から、これまで誰も考えたこともない新しい発想が生まれてくるんだ、と信じている。だって、地動説なんて、妄想しなければ決して思いつかないのではないだろうか。地球が太陽の周りを回っている…。当時の知識では、噴飯ものである。同じく、万有引力だって、想像しているだけでは気がつかなかっただろう。地面いや地球がモノを引っ張っているなんて、逆転の発想を超えているではないか。まったく非常識で、妄想の領域に入っていると思う。

つまり、妄想とは、思い込まれている常識を超えることだ。現状の知識を超えることだ。今いる領域から一歩足を踏み出すことなのだ。それには、それ相応の勇気と覚悟が必要だ。自己責任を負うことができる人にだけ許された行為なのかもしれない。しかし、その決意をもって臨めば、悦びは格別のものになるだろう。

実現不可能だから妄想と呼ぶんだよ。そうおっしゃる方もいらっしゃるだろう。でも、でもぼくは思う。そんなこと誰が決めたんだ、と。可能と不可能の境界線は誰が決めるんだ、と。それは、実行する本人が決めることであって、誰もそれを云々することはできないと思う。もしかしたら、自分の代では不可能かもしれない。だとしたら、次の代、次の次の代に継いでいけばいいと思う。歳月を重ねることで、妄想は現実のものになるはずだ。江戸時代に月まで旅するなんてことは妄想極まる話だったろうが、今や実現し、そう時間が経たないうちに誰もが簡単に月旅行ができる時代がやってくるだろう。

そう考えると、妄想はひとつの予言といえるのではないか。そう、妄想する人間は、予言者なのである。時代を一歩も二歩も先ゆくことになるのである。そういった意味でも、どんどん妄想を進めたい。みなさんもいかがだろう。壁のある想像を止めて、どこまでも続く平原のような妄想を楽しんでみないか?

(0022)

 

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裁判沙汰

さて、桜吹雪の金さんなら、さるとかにのもめ事をどう裁いてくれるのだろう?

 

それは、裁判員制度が云々されていた頃だから、もう10年も前のことだったと記憶している。さるかに合戦がらみの話を裁判仕立てで書けないものか…と考えた。親がにが殺害された直後に子がにたちが裁判を起こした、という設定で、書こうと思ったのだ。被告人は、さる。原告は子がにたちである。原告側の証言者として、ハチや臼、フン、つっかえ棒、イガグリが登場する予定だった。これを書くには、一度、法廷を見学する必要があると考え、法廷見学を趣味にしている人にあれこれ相談したりしていたが、具体的に動くことなく10年もの歳月が過ぎていった。

数日前に、やられたなぁ…と思わせることがあった。新聞の書籍広告欄で、『昔話法廷』なる本が出ていることを知ったのだ。調べてみると2015年8月15日にEテレの番組『昔話法廷・さるかに合戦裁判』として放映されたものが書籍化されているらしい。ちなみに『昔話法廷』は、2015年8月11日から2018年8月14日まで年に2~3回のペースで計10話が放映されている人気番組なのだそうだ。これまで、先のさるかに合戦をはじめ、三匹のこぶたやカチカチ山、ブレーメンの音楽隊など、世の東西を問わず誰もが知っている昔話を裁判仕立てで取り上げてきたようだ。

10年前といえば、日本もいよいよ法廷で争うのが通常になる国家になりそう…という雰囲気が立ちはじめた頃だった。とにかく問題が起これば、法廷に持ち込むことが多くなってきていたのだ。それまでは、とかく穏便にすませようということで、法廷に持ち込むのはもめた時の最終手段として捉えられていたように思う。それが、まずは裁判所に持ち込んで…という風潮が生まれつつあったのだ。なんとなく、ぼくは、それを哀しく感じていた。第三者を交えて、話をまとめるということは大切なことだと思うが、その第三者が裁判所なのか?と思った。もう少し、人肌の体温を感じられる対応はないのか、と考えたのだ。

確かに、裁判所に持ち込まない場合、示談屋などのブラックな人たちが暗躍する機会をつくってしまうことが多々あったと思う。とかく闇の世界に頼まなくてはならないような問題もたくさんあっただろうから。それを表沙汰にしないためにも、件の輩は、必要悪として存在していたのだと思う。裁判に持ち込めば、出来事は公にされるかもしれないが、公正さは保てると思われる。そういう意味では、法廷主義は意味があることだといえるだろう。

でも、それはそれで、法に対して公正かもしれないが、どこか人間の機微というか凸凹に十分対応できているのかどうか、ぼくは疑問を持っている。やはり、人間がつくったものだから、法とて完璧であるはずがない。どこかに誤りや矛盾を持っていると思う。それらを機敏に変更して、時代に即したものにしていかなければ法は機能していかないのだけれど、立法の方々の様子を見ていると、自分たちが法をつくっているという自覚がイマイチ感じられない。世間を見ていないといってもいいのかもしれない。スーパーでキャベツ1玉がいくらで売られているかを知っている政治家がどれだけいることか…。そんな状況で法の適正度を推し量るなんてことができるか、とても疑問だ。だいたい明治初期に定められた法がいまだに履行されているのだから驚くしかない。100年も経って、旧式化していないものなど想像できないではないか。

で、昔話法廷に話を戻す。先を越されたので、とても悔しい。というか、それくらいのアイデアは誰でも思いつくということなのだろう。でも、形にしたいという希望は捨ててはいない。ぜひ、近いうちに、大岡越前守か遠山左衛門尉にさるかに合戦を裁いていただこう、と考えている。

(0021)

 

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基本的な社員教育

会社は、即戦力の実践の場としての機能に加え、人間をどう成長させるかという教育の場でもある。

時々、社員研修なるものを担当させていただくことがある。テーマは、たいてい『発想術』とか『編集技術』、『プロモーション戦略』となっている。どう考え、どう加工し、どう展開するか…そういった基本的なことを身につけていただこうというのが主旨の研修で、受けてくださった人たちは「頭の中がぐにゃぐにゃになった」という感想をお持ちになるようだ。

ぼくたちは、発想をするときに、そのプロセスをよく理解せずに行っている。例えば、連想ゲームを思い起こしてみてほしい。「リンゴ→みかん」と連想する人がいるかと思えば、「リンゴ→白雪姫」と思い浮かべる人もいる。あるいは、「リンゴ→コンピューター」と答えたりする人もいたりする。これを“なんとなく思いついた…”と考えていては、なかなか前には進めない。リンゴをどういう視点から捉えるか、を考えてみようというのが、ぼくの研修の中身である。

リンゴを果物という属性で捉えれば、みかんという存在が浮かんでくる。リンゴを小道具という要素で捉えるならば白雪姫が登場する。あるいは、象徴という機能で捉えたらアップルコンピューターが出てくることになる。これらの視点を後付けではなく、先に想起して連想してみよう…みたいなことを研修では行っている。

つまりは、発想のしくみを解き明かして、アイデアの幅を広げられるようにしようという、ごくごく基本を捉えた研修なのである。興味のある人がいたら、ぜひ、お声がけいただきたい。全国津々浦々、どこにでも参上させていただく。

ところで、ぼくのような社員研修をはじめとして、さまざまな研修が行われているようだが、ぼくが企業に「ぜひ、これをしてほしい」という研修がある。ま、研修というよりは、訓示のようなものなのであるが。それは、①歩きスマホは絶対にしないこと、②リュックサックを持って電車に乗る時は、必ずお腹の方でホールドする。この2点を社員に徹底してほしいのだ。

会社は、学ぶ場ではなく実践の場だ、と言われている。確かに、即戦力が求められる場である。しかし、そこは「成長の場」であるはずだ。スキルとともに人間性のアップが求められている。社員ひとり一人の成長なくして、企業の成長はありえない。スキルアップも大切だが、人間性の向上にも注意を払ってほしいものである。できれば、企業が“生涯学習”の場になってほしいと、切に願っている。

(0020)

 

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個性について

ぜんぶ「ピータン」。でも「ピータン」一匹一匹はどれも違う。これが「個性」というものだろう。

若い人たちに「今、一番したいことはなに?」と尋ねたら、ほとんどの人たちが「個性的に生きたい」と答えるそうだ。自分らしく生きていきたい人がたくさんいるということは、逆にいうと自分らしく生きられていないと感じてる人が多いといえるのかもしれない。多くの人が自分を見失っているのだろうか…。

では、「個性」ってなになのだろうか?小学館のデジタル大辞泉によると“個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。個人性。パーソナリティー。”とある。つまりは、個人の特性のことをいうのだ。ということは、生まれてきた人なら誰でももれなく個性はついてくるはずである。ムリして他人に合わそうなどとしない限り、ひとり一人に「個性」があるはずなのだ。

でも、哀しいかな、人は自分を他人と比べ“個性がない”と嘆いてしまう。“もっと、もっと輝けるはずだ。それには、もっと個性を磨かねば…”と自分を卑下してしまう傾向にある。個性は決して「能力」や「才能」のことではない。いいところ、悪いところ、すべて含めた凸凹のことを「個性」と呼ぶとぼくは考えている。誰かと自分を比べて、それぞれの特長を分析し、自分磨きに活かすなら「比較」は有用だと思うが、自分の劣っているところを見つけて卑下したり、相手の劣っているところをほじくり出して慢心したりするのは、違うと思う。

かつて、映画『千の風になって』を撮った金秀吉監督に教えてもらった言葉がある。「分析はしてもいい。でも、評価はするべからず」。どんな事象も比較しなければ本質を見つけることはできない。それは、「長いか短いか」「太いか細いか」といった客観的な比較にするべきだ。「長いから優っている」「太いから劣っている」という評価は論外ではないだろうか。これらの「長い」とか「太い」とかいったことが個性なのだと思う。卑下することなく、慢心することなく、等身大の事実として受け入れればいい。自分で変えたいと思うなら変えればいい。決して他人と比べてどうこうしなくてもいいと思っている。

どうせなら、「個性」よりも「孤性」を大事にしたいと思う。「孤性」という言葉は辞書には載っていない。ぼくが勝手につくった言葉だからだ。「孤」には唯一無二という意が込められている。オンリーワンということだ。だから周囲には誰もいない。たった一人きりだ。この孤独感が「孤性」を育むのではないか、と考えている。イチローがあのようなポジションを保っているのは、常に孤独だからだと思う。常に、自分との闘いに向き合っているからだと。ぼくは「孤」という文字に、自分自身との闘いの気を感じるのだ。だから「孤性」という言葉を大切にしたいと切に思う。

若い人たちに言いたい。「生きている限り、“個性”はあるんだよ。あなたがあなたでいる限り“個性”は発揮されている。だから、もっと自分を信じて、もっと自分を大切にして、堂々と生きてください」。唯我独尊で、いいんだと思う。

(0019)

 

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Restoryの時代。

悲劇の戦国武将・明智光秀。2020年のNHK大河ドラマ『麒麟がきた』では長谷川博己が演じて主役を張る。

 

よく聞く話ではあるが、history(歴史)とstory(物語)は、語源を同じくする兄弟のような単語だということである。どちらかを起源にして派生したわけではないようだが、storyにhiをくっつけてhistoryが生まれた…という、まことしやかな説が出てきたりしている。これは、実は虚説なのだそうだ。

いずれにしても、historyは、過去における物語を綴ったものである。そういった意味では、神話や伝説、昔話などもhistoryのカテゴリーに加えてもいいのかもしれない。真偽は別にして、いずれも過去の物語を綴ったものだからである。

ただ、史実に基づいた本来のhistoryについては、真偽のほどが怪しいものをたくさん見受ける。古事記における神代の大君については、まともな年歴計算をすると二百年以上の生涯だった例がいくつも見られる。「そんなことあらへんやろー」となるところだが、歴史史料として認められている。

また、よく「歴史は勝者によってつくられる」といわれるが、まったくその通りで、冤罪を受けている歴史上の人物がたくさんいる。例えば、わがふるさと亀岡に関わる明智光秀。まず、彼を討ち取った羽柴秀吉によって史実がゆがめられた可能性がある。そして、何より戦時中の軍部による情報操作があった。朝鮮半島と中国大陸進出の正当性を高めるために、軍部は織田信長と豊臣秀吉を日本史上の英雄に祀り上げた。その施策のひとつとして、明智光秀を反逆者として二人の地位を高めようとしたのである。その逆賊の地位が今、逆転されようとしている。さまざまな史料の矛盾が解かれ、誤解が解かれようとしているのだ。そして、2020年には、いよいよNHK大河ドラマの主人公として登場する。

もう一人、勝者というか権力者によって、極端に評価を下げられている人物がいる。殺生関白といわれる豊臣秀次である。彼は、叔父であり養父である秀吉から関白の地位を譲られ政を取りまとめていたのだが、拾(後の秀頼)が生まれたとたんに謀反の疑いをかけられ、高野山に蟄居した直後に切腹して果てた。彼の一族郎党30数名は、三条河原で公開処刑され塚が築かれた。さまざまな淫行や辻斬りなどの蛮行が指摘され、「殺生(摂政)関白」と呼ばれた、とある。しかし、しかしである。これらの酷い行いを指摘しているのは、ほぼ時代の下った江戸時代に書かれたものにおいてである。江戸幕府という政治のトップの意向や著者の先入観など、さまざまなマイナスのフィルターがかかっているのは確実である。まともなことを書いているのは、上田秋成が『雨月物語』の一編『仏法僧』で、後年の噂がいかにいい加減で信用ならないものであるかを訥々と説いているくらいである。秀次に関しては、この秋からぼくの手で物語を書いて彼の無念を晴らそう…という活動を秀次と彼の一族郎党を祀る瑞泉寺の住職でイラストレーターの中川学さんとはじめようと話を進めている。

また、鎌倉の観光資源づくりの一環で、源頼朝のブランディングに取り掛かろうというプロジェクトも水泳の背泳ぎでいうところのバサロ状態であるが、進みつつある。どうも、この数年は、これまで誤解されてきた歴史上の人物の大逆転劇が続くような気がする。まさに、historyのrestory化が起こりそうなのである。その担い手のひとりとして活動できたなら本望である。

(0018)

 

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手紙の効用

手紙を出すということは、現代人に最も欠如している「イマジネーション」を育てることにつながる。

 

最近、手紙を書いたことがあるだろうか? はたまた、葉書に文をしたためたことはあるだろうか? ほとんどの方が「いいえ」とお答えになるのではないか、と思う。実際、SNSの浸透で、文章を書くといえばPCあるいはタブレット、スマホの上で…ということがほとんどではないだろうか。時候のあいさつである年賀状や暑中見舞いもメールやLINEで、というのがほとんどだと聞く。日本郵政もタイヘンだな。日本郵政の統計によると年賀状の発行枚数は1949年の初発行時の1億8千枚以来伸び続けて、ピークの2003年には44億8千枚となった。しかし、その後は減少傾向に移り、一昨年2017年には29億7千枚弱まで落ち込んだ。どうも、国民の筆離れがすすんでいるようだ。日本郵政もたまらないことだろう。

SNSでのコミュニケーションは、字が下手だとか、いちいち道具を使わなくても簡単に書くことができるとか、すぐに相手に届くとかいったメリットがたくさんある。みんなが、こちらに走るのも納得できる。とにかく便利なのだ。ただ、この便利さが、逆にあやういようにも感じる。いろんな書体が選べるということはあるものの、やはり画面上の文字は画一的である。なかなか伝えたい想いのニュアンスを伝えきることはできない。それをなんとかするために、絵文字やスタンプなどが開発され、発展しているのだけれども、やはり手書きの多彩・多才さに比べたら、ぼくには見劣りがする。ないものねだりかもしれないが…。

それと最大のデメリットは、人間から「待つ喜び」というものを奪ったことではないだろうか。手紙や葉書は、いつ相手に着くのか確約がない。たいてい2~3日で着くのだろうが、書留で送らない限り着いたかどうかも分からない。そして、それが読まれたかどうか、は不明のままだ。LINEなどは既読マークがあるので、確認できるのだが、逆に「既読スルー」なんてことが発覚して、相手とのいさかいを招いたりすることもある。そして、手紙・葉書の一番の特性は、いつ返事が来るか、まったく分からないということである。比べることではないかもしれないが、平安王朝の時代には、殿方に出した手紙の返事を60年間も待っていた姫君がいたという。これは、まったくおとぎ話のようなことであるが、とにかく手紙・葉書文化は、「待つことを是とした文化」だったのである。

今や、少なくてもその日のうちに返信しないと礼儀知らずとののしられる。時には、既読スルーして大ゲンカになったり、人を殺めるような事態に陥ることさえあるようだ。現代人は、ずい分とせっかちになってしまったものである。それもこれもやはりネット社会の功罪という他ないのではなかろうか。

このような性急を請求するSNSを根絶しようとは思わない。便利なところもあるから、やはり使いようだと思う。ただ、SNSだけのコミュニケーションにどっぷりと浸っいていいものか、とも感じている。暮らしのどこかに、手紙・葉書のスタイルを残しておくことはできないか、と。いつ届くか分からない返事のことをあれこれ想像するというのは、楽しいことのはずだ。郷ひろみも楽曲『よろしく哀愁』で歌っていたではないか。♪会えない時間が愛育てるのさ。目をつぶれば君がいる…と。「待つ」ということは「育てる」ということなのだ。

この秋から、とある高校で「手紙の書き方講座」を担当させてもらうという話が出ている。高校生くらいから手紙に親しんでおくと、きっと一生ものになるのではないか、と期待している。ほんの小さな水輪ではあるが、これが将来大きな輪になって広がっていくことを願っている。徹底的に尽力したいと思っている。

(0017)

 

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飛びぬけてデカかった…

周りから飛びぬけてデカいと、ついつい上から目線が日常になってしまいがち…用心、用心。

 

小さい頃から大きい子だった。幼稚園の頃の写真を見ると、ひとりだけ飛びぬけてデカかった。小学校4年生で160㎝になった。担任の女性教師は、昭和ひとケタ生まれの女性だったが長身で「あんた、私といっしょの背丈やね」と驚いていた。小学校を卒業する頃には170㎝になっていた。この頃、母親といっしょに買い物に行くと、知り合いのおばさんから「あらー、もう高校生やのん?大っきなったなぁ」と感心された。きっと、「この子、高校生やのに頭悪そうやな…」と思われていたに違いない。

そんなデカい子だったので、自然と周りから怖れられていた。ガタイがデカイというだけで畏怖心を駆り立てるのだろう。そんなこともあって、中学生までけっこうリーダー的な存在だった。でも、その理由は、他の子よりも体格がいい…ということだったのではないか、と今は思っている。それは、見た目が大きいというだけであって、中身とか器が大きいというわけではなかったのだ。それに気づくのが遅かったように、今は感じている。そう、ぼくはついこの間まで、自分を誤解して生きてきたのだ。でも、今、気づいている。手遅れではないと思っている。

とにかく中途半端は哀しい。異なる視点から見れば、それは“平均値”ということなのではあるが、それは、一面では“埋没している”あるいは“無個性になる”ということもできる。大きくなかったら、いっそのこと小さくなりたい…と思ったこともある。なんでこんなことを考えたかというと、中学生も3年目になると、それまで学校のヒマラヤ山脈のように扱われていたのが、周りの造山活動が盛んになっていって、どんどん山が高原になり、いつのまにか、こちらが見上げるような立場になってしまったからだ。大きな人間が平均的な人間になるのは、やはり哀しいことだった。高校生になる頃には、自分は平均ちょっと上なんだという意識が身についていた。等身大を知るということは、よいことなのではあるが…。哀しかった。

そんな十代を過ごして、今や五十路の半ば。今では、身長の大小なんて、まるで気にならないけれど、器の大きさには関心が向く。なんで、そんなことで怒ってしまうかなぁ…とか、つまらぬ小さな損得にこだわってしまっている自分を見つけた時には、激しく自分の器の小ささを実感して凹んでしまう。そんなとき、あの中学生の後半の記憶がよみがえってくる。あぁ、このままじゃダメだ、と思う。もう一度、等身大の自分を受け入れろ!そこからはじめろ!と。そんなことを繰り返している。あ、繰り返しているといっても俯瞰からだとグルグル回っているように見えるが、きっと横からなら上昇しているんじゃないだろうか。そう螺旋のようにグルグル回りながら上に向かって昇っているのだと信じている。きっと器は大きくなっているのだろう。きっと…。

(0016)

 

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ワザ。ワザ…道化者

道化師ピエロの目には、いつも涙が描かれる。笑いは、常に哀しみと背中合わせにある。

太宰治の著書『人間失格』の第二の手記に、旧制中学校時代に主人公が鉄棒で失敗をして、クラスメイトから大爆笑をもらうシーンが描かれている。道化を演じることを目的に主人公は、計画的に失敗し、皆の笑いを誘うのだが、ただ一人、竹一という体育の授業を休んで眺めていた少年が、その計画的失敗を見破り「ワザ」。ワザ」と低く小さな声で指摘した。という一節なのだが、ぼく自身、このエピソードにすごく共感するところがある。

ぼくが小学校3年生の一学期の最初の授業の時だ。2年生の夏休み後に転校してきたぼくは、2学期、3学期と幾人かの友だちをつくって、なんとか新しい学校になじんでいた。でも、心のどこかで淋しさを感じていた。その頃は、明確に感じていたわけではない。今となって思うに、そういうことだったのだと思う。そこで、新しい学年になった最初の授業で大芝居をうった。先生が教壇に立った後、生徒たちは起立して礼をする。そして、着席するのだが、ぼくは自分の足でイスを払い、わざとこけて尻もちをついたのだ。とたんに、教室は笑いに包まれた。その日から、ぼくはクラスの人気者になることができた。幸いなことに、このクラスには竹一のような人物がいなかったのである。

♪誰か指切りしようよ、僕と指切りしようよ
軽い嘘でもいいから、今日は一日、はりつけた気持ちでいたい
小指が僕にからんで動きがとれなくなれば
みんな笑ってくれるし、僕もそんなに悪い気はしないはずだよ

これは、井上陽水の『氷の世界』の一節。もう30年ほど前だったか、新潮文庫の広告で「ぼくも太宰でした」というキャッチとともに陽水が登場していたのを憶えている。この曲を聴く度に、小学校3年生のあの出来事を思い出す。

子どもは子どもで、幼いながらもいろいろ考えているんだな、と思う。道化に頼って友だちを増やそうとしたり…。それは、もう涙ぐましい努力を重ねている。そんな姿を見て、おとなたちは「小賢しい」と非難したりする。果たして、どうなのだろう。子どもだって必死なのだ。笑われてもいい、とにかくみんなと仲良くしたい。ただただそう想って演技をしたりする。それを非難で一蹴してもいいものだろうか。いや、ホメることはないものの、非難することはできないと思う。

小学校3年生で、「ワザ。ワザ」を仕出かしてしまったぼくは、もしかしたら「人間失格」なのかもしれない。たとえ失格しようとも、道化者になろうとも、しっかり最後まで生き抜いてみたいと思う。決して入水などしないように。

(0015)

 

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お盆

東京・上野の不忍池で撮った蓮の花。池中に蓮の花が咲き乱れ、さながら極楽浄土のような雰囲気を醸し出していた。

今日は、お盆の中日。成仏されたご先祖様が我が家に戻ってくるど真ん中の日、ということだ。ということで、本日は、ぼくも「ご詠歌」を仏壇にあげた。西国三十三か所巡りを歌いながら辿るというものだ。この「ご詠歌」は、観音信仰を基にあいている。西国の三十三か寺にある観音様を称えるために綴られているのだ。第一番の那智山青岸渡寺から第三十三番の谷汲山華厳寺までのご詠歌を読み上げて、霊を弔うのである。

これをすべて読み上げると、だいたい40分程度かかる。我がまち亀岡市にある第二十一番札所の穴太寺を読み上げたところで休憩をいれるのが、森家のしきたりだ。三十三か所なのに二十一番で休憩とは、真ん中ではないのか?という声が聞こえてきそうだが、三十三番目の谷汲山華厳寺のご詠歌は三番あり、番外で、善光寺二番、高野山一番がある。ということで、穴太寺が真ん中となるのである。

ぼく自身、門前の小僧、習わぬ経を読むが如く、幼い頃から本家に行ってご詠歌を聞いていたので、今更ながら自分でも間違いながらも読むことができるのだが、ぼくの子どもたちにはどうだろう?と一抹の不安がある。うちの親父は、ぼくにあげてもらっているが、ぼくには誰があげてくれるのだろう…。早急に読み手を育てなければならない…と焦ってみたりもする。が、息子・娘たちには、期待できないだろう。日本文化継承の脆弱さをこんなところに感じてしまう。

世間では、結構、「抹香臭いイメージ」のある行事ではあるが、ご詠歌をあげていると不思議と気持ちが落ち着く。座禅や瞑想に近いものを感じるのである。繰り返される鉦の単調なリズムと五七調の歌…詠みあげる方も追随する方も、進めていくうちに、ある種の「白目状態」になることがある。これは、アフリカの呪術系の音楽や神楽のお囃子に通じるものがある。続けることで恍惚状態をつくりだすのである。やはり、ひとつの宗教儀式なんだな、と思う。

元来、お盆は精霊を迎え、そして送る期間である。決して、余暇を楽しむ期間ではなかった。お盆の正式名称は「盂蘭盆会」。これは、サンスクリット語の「ウラバンナ」の音写語といわれている。日本では「お盆」のほかに精霊会」(しょうりょうえ)「魂祭」(たままつり)「歓喜会」などとも呼ばれている。仏教や儒教、神道などが習合していたかつての日本で生み出された風習なのだ。

大阪の企業に勤めて、びっくりしたことがある。京都では盆休みといえば8月16日までが常識である。五山の送り火があるように、京都人は16日に精霊を送って盆を終える。しかし、大阪は違った。盆休みは15日まで。16日は平常営業日なのだ。大阪に拠点を置いて、早20年。なんとなく大阪の風習にも慣れたが、やはりぼくにとっては、盆休みというか盂蘭盆会は8月16日まで続くものである。

さて、明日は、精霊を送る16日。ぼくも玄関で火を焚き、ご先祖様を彼岸の地に送る。煙に乗ってご先祖様は帰っていかれる。親父も戻っていくんだ。もうすぐ、旅立って干支がひと回りする。ぼくも齢を重ねたものである。

(0014)

 

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