お盆

東京・上野の不忍池で撮った蓮の花。池中に蓮の花が咲き乱れ、さながら極楽浄土のような雰囲気を醸し出していた。

今日は、お盆の中日。成仏されたご先祖様が我が家に戻ってくるど真ん中の日、ということだ。ということで、本日は、ぼくも「ご詠歌」を仏壇にあげた。西国三十三か所巡りを歌いながら辿るというものだ。この「ご詠歌」は、観音信仰を基にあいている。西国の三十三か寺にある観音様を称えるために綴られているのだ。第一番の那智山青岸渡寺から第三十三番の谷汲山華厳寺までのご詠歌を読み上げて、霊を弔うのである。

これをすべて読み上げると、だいたい40分程度かかる。我がまち亀岡市にある第二十一番札所の穴太寺を読み上げたところで休憩をいれるのが、森家のしきたりだ。三十三か所なのに二十一番で休憩とは、真ん中ではないのか?という声が聞こえてきそうだが、三十三番目の谷汲山華厳寺のご詠歌は三番あり、番外で、善光寺二番、高野山一番がある。ということで、穴太寺が真ん中となるのである。

ぼく自身、門前の小僧、習わぬ経を読むが如く、幼い頃から本家に行ってご詠歌を聞いていたので、今更ながら自分でも間違いながらも読むことができるのだが、ぼくの子どもたちにはどうだろう?と一抹の不安がある。うちの親父は、ぼくにあげてもらっているが、ぼくには誰があげてくれるのだろう…。早急に読み手を育てなければならない…と焦ってみたりもする。が、息子・娘たちには、期待できないだろう。日本文化継承の脆弱さをこんなところに感じてしまう。

世間では、結構、「抹香臭いイメージ」のある行事ではあるが、ご詠歌をあげていると不思議と気持ちが落ち着く。座禅や瞑想に近いものを感じるのである。繰り返される鉦の単調なリズムと五七調の歌…詠みあげる方も追随する方も、進めていくうちに、ある種の「白目状態」になることがある。これは、アフリカの呪術系の音楽や神楽のお囃子に通じるものがある。続けることで恍惚状態をつくりだすのである。やはり、ひとつの宗教儀式なんだな、と思う。

元来、お盆は精霊を迎え、そして送る期間である。決して、余暇を楽しむ期間ではなかった。お盆の正式名称は「盂蘭盆会」。これは、サンスクリット語の「ウラバンナ」の音写語といわれている。日本では「お盆」のほかに精霊会」(しょうりょうえ)「魂祭」(たままつり)「歓喜会」などとも呼ばれている。仏教や儒教、神道などが習合していたかつての日本で生み出された風習なのだ。

大阪の企業に勤めて、びっくりしたことがある。京都では盆休みといえば8月16日までが常識である。五山の送り火があるように、京都人は16日に精霊を送って盆を終える。しかし、大阪は違った。盆休みは15日まで。16日は平常営業日なのだ。大阪に拠点を置いて、早20年。なんとなく大阪の風習にも慣れたが、やはりぼくにとっては、盆休みというか盂蘭盆会は8月16日まで続くものである。

さて、明日は、精霊を送る16日。ぼくも玄関で火を焚き、ご先祖様を彼岸の地に送る。煙に乗ってご先祖様は帰っていかれる。親父も戻っていくんだ。もうすぐ、旅立って干支がひと回りする。ぼくも齢を重ねたものである。

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