英雄か悪党か。

豊臣秀次像(瑞泉寺所蔵〈部分〉)

 

今、ある仕事のからみで
豊臣秀次公のことを調べている。
秀次公といえば「殺生関白」とか
「畜生関白」とかと呼ばれ
太閤秀吉から関白職を譲られたものの
お拾(後の秀頼)が生まれたばかりに
太閤から疎まれ、その結果、
関白職をはく奪され
高野山で切腹させられた…
ということで知られている。

でも、同時代の史料(一次資料)や
後(主に江戸時代)に書かれた物語を
ひも解いていくと、私たちが常識として
捉えていることが決して真実ではない
ということが分かってくる。

世間一般の認識では
秀次公は、太閤の七光りで関白になり
自分の実力以上の位についた
相当のお坊ちゃんだった、
と思われてしまっている。

でも、それは、太閤や徳川幕府が
ねつ造したイメージであるらしい。
特に、彼らの意識を忖度して、
物語の作者は筆を走らせたようなのだ。
そこには、政を司る者たちの
意識(そうイメージさせたい)が
強力に働いているようだ。

歴史学者の先生たちは
「ここには作者の意識が込められている…」
などと物語のくだりを
解説しているのだけれども
物語の作者が誰のために書いたか…
それが論じられていることは少ない。

当時の作者は、
今の小説家のように大衆に向けて
自分の意図や筆力を発信している
わけではなかったのだ。
あくまでも、依頼者がいて
そのクライアントが満足するような
物語を綴っていたのである。

ただ、江戸時代中期になると
さまざまな大衆向けの出版物も
発刊されるようになってくるので
本が売れるように
ウケを狙って書かれる物語も
登場してくるので
一概にクライアント至上主義
とは言えないのだけれど。

いずれにしても
物語というものは…
特に歴史的物語の場合は
ウソはついてはいけないが
大いに演出しなければ
成り立たないものだと思う。
というのも
史料だけでは、補えないことが
多すぎるからだ。
そこは想像して推量して
書かなければならない。

そこが難しいところであり
面白いところでもある。
自分なりの人物像を
つくり出すことができるからだ。

司馬遼太郎氏が
「竜馬がいく」を書くまでは
殆どの人が竜馬を評価していなかったし
知る人もほとんどいなかった。
なんと明治天皇も竜馬の存在を
知らなかったと聞いている。

それが、
今や歴史上の人物で
最も知られ、好かれているのが
坂本竜馬なのである。
司馬遼太郎という物語のつくり手が
いなければ、竜馬は
日の目を見ることはなかっただろう。

歴史は勝者がつくる
という言葉があるのだが
英雄は物語を書くものがつくる
そんな気がする。
それほど、物語の書き手は
歴史上の人物を
輝かせたり、沈ませたりする
大きな力を持っているのである。

歴史上の人物をいかに向き合うか。
どれくらい深く関わることができるか。
大きな力が発揮できるかどうかは
これらにかかっているのだと思う。

(0028)

 

◎森壹風の困った悩み相談室がスタートしています。
◎『如風俳諧』【処暑】をアップしています。
◎活版印刷研究所にコラムを掲載しております。

RSSリーダーで購読する

レッツ!オンバウンド‼

大坂のまちからスーツケースを引きずるアジア系外国人観光客の姿が消えた…。

大坂のまちの様子が少し変わった。
道往く人たちの顔ぶれがいつもと違う。
いや、いつもと違うというよりは
以前の姿に戻ったというべきだろうか。

先般の大阪での地震災害、
そして、台風21号の襲来による被害。
立て続けに起こった天災の影響で
外国人観光客の数が相当数
減ってしまったように感じる。
日本橋界隈でも天神橋筋商店街でも
大きなスーツケースを2つも3つも
引きずり回して
集団で道幅いっぱいに並んで
大声でしゃべりながら(叫びながら)
闊歩しているアジア系観光客の姿を
ほとんど見かけなくなったのだ。

私なんかは、静かになっていい
と素直に感じてしまうのだが
商店を営む方々からすると
それはたいへんな死活問題だろう。
これが瞬間的な事態なのか
これから先も続くことなのか…。
不安で仕方がないと思う。

台風21号の影響で、滑走路に水がついた
関空が機能を停止してしまって
その結果、インバウンド減少に
つながっているのだとしたら
この事態はそう長くは続かないだろう。
でも、
「日本は自然災害の多い国」という
イメージが定着してしまうと
インバウンドには大打撃となる。
アジアの訪れたいところは
日本だけとは限らないからだ。
「日本の他にも面白いところがあるよね」
と思われてしまったらお陀仏だ。

これまで、関西はインバウンドに対して
飲まれ過ぎていたのではないだろうか。
万能の神器のように考えていなかったか。
一時だけ咲き誇るあだ花のように
今は盛りの花々も
明日には枯れて落ちるものだ。
そこまで想定して酔っているなら
まだ救いはあるように思える。しかし…。

自分の足元も見ずに、
インバウンドばかりを追うと
ちょっとした石ころにさえ足を掬われる。
そこに暮らす人々のことを
省みることもなく
来る人、まろうどたちだけに
忖度ばかりしていては
花が散った後に
新たな種をつくることはできない。
そんな危うさをいつも感じていた。

今回の天才の襲来は、
関西の人々に
ある種の啓示を与えてくれた。
あるいは警鐘を鳴らしてくれた。
私たちは、気づかなければならない。
もっと足元を見つめるべきなのだ。

そこに暮らす人を第一に考えた上で
外からやってくる人をおもてなししよう。
私が、以前から提唱している
「オンバウンド」という概念を今こそ
意識しつつ実践する時が
やって来たのではないか。
今、関西は曲がり角にさしかかっている。

(0027)

 

◎森壹風の困った悩み相談室がスタートしています。
◎『如風俳諧』【処暑】をアップしています。
◎活版印刷研究所にコラムを掲載しております。

RSSリーダーで購読する

老頭児(らおとう)

敬愛するLed Zeppelinのアルバムのジャケット。名曲『天国への階段』が収められたⅣの表紙には柴を背負った老人が象徴的に配されていた。

 

「物静かで、急に怒ったりしやはらへんし、
世の中のことをすべて知り抜いているように見えるし、
あんなすごい人間いたはれへんやろ」

お世話になっているチチ松村さんは、
幼い頃から“老人”に憧れていたそうだ。
中学生の頃には、老人ファッションで
身を包んでいたという。
完成されているような印象がいいのだという。

「ロートル」という半ば死語になった言葉がある。
調べてみると、昭和40年代によく使われていたそうだ。
50年代に入っても若干使う人がいたらしい。
ぼくは子どもの頃、よく耳にした。
確かに調べたとおりだ。

一番記憶に残っているのは
水島新司氏の名作『野球狂の詩』でのことだ。
知られているのは、プロ野球初の女子選手である
水原勇気(サウスポー投手だった)だと思うが、
登場人物のひとりに50代の老投手・岩田鉄五郎がいた。
彼はいつもスタンドのファンから
「ロートルはヤメちまえ!」と罵声をあびていた。
ヨレヨレのピッチングしかできないからだ。
でも、野球に対する情熱は若者に決して負けはしなかった。
その気力だけで、時には勝ち投手になることもあった。

彼を通して、ぼくは
「ロートル」という言葉を知ったのだと記憶している。

今、自分がロートルの世代に足を踏み入れようとしている。
広告業界は、やはり若いパワーやアイデアが重んじられる。
おじさんは、お呼びではないのだ。
同年代の知人たちも、自分の年齢を嘆いている。
若さがあれば、もっといい仕事が来るのに…と。
なにか違う…とぼくは思う。

世阿弥は、その秘伝書『風姿花伝』で
若い花と枯れた花の話を書いている。
齢を重ねないと演じられない花があるというのだ。
若い花、老いた花、それぞれに美しいのだと思う。
オリンピックは素晴らしいけれど、
あれは、若者のためのスポーツの祭典である。
その点、マスターズは年齢を超えて楽しめる。
もっと多くの人がマスターズに目を向けても
いいのではないか、と切に思う。

広告業界でも同じではないだろうか。
年輪を重ねてきたからこそ、醸し出すことができる
味わいあるアイデアにもっと目を向けてもいいのではないか。
おじさんバンドががんばっているように
おじさんクリエイターも活躍できるのではないか。

ということで、近々、
『老頭児(らおとう)』という制作者軍団を
つくってみたいと妄想している。
50代以上の制作者だけのチームである。
もし、興味のある人がいたら連絡をください。
いっしょに、世間をビビらそう!

(0026)

 

◎森壹風の困った悩み相談室がスタートしています。
◎『如風俳諧』【処暑】をアップしています。
◎活版印刷研究所にコラムを掲載しております。

RSSリーダーで購読する

記録と記憶

京都府南丹市美山町。居並ぶ茅葺家屋は、記憶であり記録である。

就職してからシステム手帳を活用している。
かれこれ32年ばかり世話になっていることになる。
社会人1年目、仕事中、営業車の屋根に置いて
そのままクルマを走らせて失くしてしまった。
3日後、警察から連絡があり戻って来た。
親切な人が道端に落ちていたものを届けてくださった。
手帳の中に名刺を入れていたのが幸いした。

こんなことが何度かあったものの
ぼくはシステム手帳を使い続けた。
リーフにもさまざまな工夫を凝らしてきた。
今では、デイリーリーフは
オリジナルのものを自分でプリントアウトしている。
このシステムがないと身動きが取れないような
そんなかけがえのない存在となっている。

5年ほど前に、管理を一元化しようと
モバイルのアプリケーションを用いたシステムに移行した。
画面操作ですべてをマネージメントしようとしたのだ。
でも、1年でギブアップした。
システム手帳なら、余白にメモできる。
でも、モバイルではそれができなかった。
決まった場所に記入するしかできなかったのである。
ぼくは、そのフレキシビリティの無さに辟易してしまった。
とてもアナログ的だけれど、
現在のマネージメントシステムに満足している。

ただ、ひとつ不満がある。
これはアナログとかデジタルとか関係ないのかもしれないが
記録を残すことで、記憶が希薄になっていることである。
記入することで、脳が安心してしまうのかもしれない。
ここ20年ばかりの記憶がかなり疑わしい。
思い出せないことがたくさんある。
カミさんが憶えていることでも、ぼくは憶えていない。
子どもにあれこれ聞かれても答えることができない。
まったくもって、蚤の記憶力しかないのだ。
なんとも哀しい事態である。

一方、リーフを手繰れば、いつのことでもピックアップできる。
7年ほど前のことだが、知人からその頃に起こったことを
調べてくれ、と依頼されて即座に確認することができた。
このときばかりは、記録の力というものを実感したものだ。
シートを見れば、忘れていたあの頃を
鮮やかに思い起こすことができるのだ。

記憶か記録か。
やはり、今のご時世では記録が重視される。
記録でないと第三者に伝えることができないからだ。
記憶では、そのあやふやさが指摘されてしまう。
記憶違いじゃないの、とか。
逆にいうと、世間は「記録」とされたとたんに
全面的に信用してしまう傾向にある。
それが恣意的に改ざんされていたとしても。
公式という冠などがついていると尚更である。
それは、それで怖いことだと思う。

しかし、それも最近の公文書改ざんなどのあおりで
信じることが怪しくなってきた。
もう記憶も記録も全面的に信用できない。
そんな時代になってしまった。

最近、古文書にあたる機会が多い。
学者のみなさんは一次史料だとか二次史料だとか
書かれたのが当該事象からどれくらい歳月を経ているかで
分類しているようだけれども
同時期に書かれたからといって正確ではないように思う。
もし、とても偏った視点で書いていたとしたら
事実は大きく捻じ曲げられているかもしれない。
歳月が経ってしまうと真偽のほどを確かめるのは
ほとんど不可能になってしまう。
複数の史料が同じことを綴っていると
信ぴょう性が高まるというけれど
そこで口裏合わせで書かれていたら…
そう思うと信ぴょう性とはなんぞや?と思ってしまう。

もし、ぼくが
「我こそ日本国の覇者の森壹風である」
と綴った紙片を大切に保存したとしよう。
それから1000年後、今の人類が滅んで、
まったく異なる生命体が地球を支配していると仮定しよう。
ぼくが書いた紙片をその生命体が発見した時、
「そうか、1000年前には日本という国家が存在し、
それを森壹風という者が治めていたのだろう」
と考えなくもないな、と思うことがある。

記録だからと100%信用することはできない。
今は、そんなふうに考えている。
そこには、必ず何らかのフィルターが働いているのだから。

(0025)

 

◎森壹風の困った悩み相談室がスタートしています。
◎『如風俳諧』【処暑】をアップしています。
◎活版印刷研究所にコラムを掲載しております。

RSSリーダーで購読する

絶滅危惧種

コピーライターの時代は終わった。これからはWebライターだそうだ。これも一過性のブームだろうけど…。

 

文章には、情報のみを正確に伝えるものと
なんだかよく分からない情感を匂わせるものという
二種類があると思う。

いわゆるコピーというのは、その際にうごめいている
物の怪の類ではないだろうか。今は、そう思っている。

ぼくが広告業界に入った80年代末。
コピーは、ひとつのエンターテインメントだった。
糸井重里、林真理子、川崎徹…
クリエイターはスターだった。

本当は、コピーは先の二種類の分類でみるなら
間違いなく前者、情報のみを正確に伝える文章である。
ま、情感に訴えて買ってもらうという手段ではあるが。
でも、企業としては情報を伝えてほしいことだろう。
そこをコピーライターたちは
うまくごまかして、自分の書きたいものを書いた。

世間はバブル真っ只中。
企業はお金を握っていたし
マスコミはこぞって面白いことを求めた。

面白くなければテレビじゃない

目玉のマークのテレビ局は
高らかにこんなフレーズを謳いあげていた。
今とは、価値観が反物質的に異なっていたのだ。
そんな空気感の中で、ぼくは生きていた。

あれから30年。
価値観は逆転してしまった。
コピーは日本語で書かれる。
日本語は、基本的に、日本人なら誰でも使える。
「てにをは」が分からないから書けない…
親父世代、つまり昭和ひとケタの人々は
そんな文言で、公に自分の文章をさらすことを
とことん避けていた。
そんなスキをコピーライターがついたのだ。

でも、多くの人が気づいた。
文章は誰でも書けるのではないか…と。
一方、コピーライター業界も質が落ちていた。
なんとなくコピーを書いている人間が増えたのだ。
裾野を広げると、こういう弊害が起こる。
一流のプロを守るシステムがないから
こういう事態に陥るのだろう。
今更、そんなことを言っても仕方がないのだが。

ということで、コピーライターは
絶滅危惧種となった。
いや、正確に言うと
四天王寺の亀池のカメたちのようなものだ。
かつては、イシガメやクサガメが席巻していたというが
今や、アメリカ産のアカミミガメなどとの
混血種が多勢を占めている。
純国産種はまったく見られないのだ。

コピーライターも同様で、
コピーライターもどきはたくさんいるが
ほんとうのコピーライターはほとんどいない。
そういう意味では、絶滅危惧種に他ならない。
ほとんどWebライターなるものに席巻されている。
息の根を止められるのも、そう遠くなさそうだ。

さて、私はどうしたものか。
Webライターもどきになって生き延びていくのか。
それとも最後のコピーライターとして花道を飾るのか。
いずれにしても文章を書くことは続けるだろう。
それが、どんなスタイルなのか。
それは、自分で決めること。
いろいろと新しい芽は出てきている。
できれば、情感を匂わすもの書きでいたい。

(0024)

 

◎森壹風の困った悩み相談室がスタートしています。
◎『如風俳諧』【処暑】をアップしています。
◎活版印刷研究所にコラムを掲載しております。

RSSリーダーで購読する

平行線という関係

平行線は、決して交わらない。でも、ずっと寄り添って進んでいく。

 

「話し合いは、平行線に終わりました…」
政治がらみ、あるいは経済交渉などについての報道で、よく耳にする言葉だ。お互いに歩み寄ることがなく、議論がかみ合わなかったときに使われる表現だ。お互いの間に大きな溝がある、ということだ。

平行線は、決して交わることがない。だから、関係性が生じない。誰もが、そう考えているのではないだろうか。

でも…と、ぼくは考える。

交差する線は、確かに、どんどん接近していって一度は交わる。しかし、その後は、どんどん離れていってしまい、二度と出会うことはない。ま、これは、関係性の線が直行した場合にだけ当てはまることなのではあるが。でも、なんとなくではあるが、人間関係ってけっこう直行しているような気がする。というのも、人はあまり自分を振り返ったりしないことが多いものだと思うからだ。曲線を描いて生きていくような柔軟な人間は少ないと思う。

多くの人は、平行線の間隔を広めにイメージするのではないだろうか。でも、その先入観を捨てると、いろんなことが分かってくる。

ピッタリと引っついていたとしたら、どうだろう。二つの線は、いつまでも寄り添ったまま進んでいく。決して離れることはない。そう考えてみると、平行線の関係も、けっこういいものに思えてくる。平行線をトレースできるような関係を結べる人を見つけたいな、と思えてくる。

ただ、永久不滅でぴったり寄り添う関係も、実はしんどいのかな、と思う。四六時中いっしょだと息が詰まることもあるだろう。見たくもないことを見なければならないこともあるだろう。

そこで、お互いにどんな向き合い方をするのか、が問題になると思う。ぼくは、交差線・平行線の関係とは別の軸で、向き合う関係と並ぶ関係と背中合わせの関係という3つの関係があると考えている。向き合う関係は、お互いへの関心を第一にしている関係である。並ぶ関係は、お互いが同じ目的を持って進んでいく関係。そして、背中合わせの関係は、お互いの姿が見えなくても、感じあえる関係だ。視覚ではなく触覚、つまり温もりでお互いを受け止められる仲である。

平行線の関係であっても、これら3つの関係を組み合わせていけば、いつまでもその関係を続けられるのではないか、と思うのだがいかがだろう。例えば、夫婦関係。新婚の頃は、お互いに見つめあって、その存在を確かめながら生きていく。そして、歳月を重ねながら、二人の目的を持ち、それをめざして並んで進んでいく。まだまだ、お互いを視覚的に確かめあうことが必要かもしれないが。そして、さらに星霜を重ねると、いちいち目で確かめなくてもお互いの存在が認識できるようになってくる。背中で相手の体温を感じるだけで十分になってくる。

平行線の関係も背中合わせの関係も「枯れた関係」だな、と思う。時間を経ることで醸成される、発酵的な関係だと思うのだ。きっと、こういう関係を結ぶことができたなら、顔には味のあるシワが刻まれていくんだろうな、と思う。そんな関係に囲まれて時間を過ごしていきたいものである。

(0023)

 

◎森壹風の困った悩み相談室がスタートしています。
◎『如風俳諧』【処暑】をアップしています。
◎活版印刷研究所にコラムを掲載しております。

RSSリーダーで購読する

妄想ノススメ

想像から妄想へ。発想の切っ先はは、どこまでも広がっていく。

 

発想術やクリエイティブのセミナーで、ぼくは、よくこんな発言をしている。
「想像なんか、はるかに飛び越えて、もっと妄想しなさい!」と。
すると、たいていの人は、頭に「?」を浮かべながら、困った表情を見せる。
その顔には、「妄想なんかしちゃダメでしょ」とあからさまに描かれているのだ。

そう、いわゆる一般常識というもので測るなら、妄想ごときものは、夢のまた夢、決して実現できっこないことを夢遊病者のように追いかけることとされている。確かに、ある意味においては、ご座候なのである。が、しかしである。養老猛先生ではないが、人はついつい無意識のうちに「壁」をおっ立ててしまう生き物なのだ。自分で立てておきながら、ついにはその壁を超すことができないで四苦八苦する。でも、立てたとはいえ、それこそ幻想の壁を勝手に実際の壁だと思い込んでいることが多いのも事実である。

かつて、何かの本で読んだことがある(題名も著者さえも忘れてしまった)。そこには「認識できないものは見えない」と書かれていた。もし、アフリカのサバンナにほとんど全裸で暮らす人が、靴を見ても、靴と認識できないので、靴は見えない…という意味だったと思う。つまり、靴を知っている人には、靴が靴として見えるが、靴を知らない人が靴を見ても何なのか分からず、景色の一部になってしまうということらしい。分かったような分からないような話である。

同じようなことが「想像」という言葉の中に含まれているような気がする。「想像」といったら、きっと心の中では、「常識ではそんなことしたらダメだもの」とか「そんなことを考えたらプライドが傷つく」とか、いろんな手かせ足かせを自らに課して考えることになるだろう。そういうタガをはめている限り、画期的なアイデアは出てこないのではないか…というのがぼくの持論なのである。

すべての「思い込み」を取り払って、あれこれと考えるのが「妄想」だと考えている。この妄想から、これまで誰も考えたこともない新しい発想が生まれてくるんだ、と信じている。だって、地動説なんて、妄想しなければ決して思いつかないのではないだろうか。地球が太陽の周りを回っている…。当時の知識では、噴飯ものである。同じく、万有引力だって、想像しているだけでは気がつかなかっただろう。地面いや地球がモノを引っ張っているなんて、逆転の発想を超えているではないか。まったく非常識で、妄想の領域に入っていると思う。

つまり、妄想とは、思い込まれている常識を超えることだ。現状の知識を超えることだ。今いる領域から一歩足を踏み出すことなのだ。それには、それ相応の勇気と覚悟が必要だ。自己責任を負うことができる人にだけ許された行為なのかもしれない。しかし、その決意をもって臨めば、悦びは格別のものになるだろう。

実現不可能だから妄想と呼ぶんだよ。そうおっしゃる方もいらっしゃるだろう。でも、でもぼくは思う。そんなこと誰が決めたんだ、と。可能と不可能の境界線は誰が決めるんだ、と。それは、実行する本人が決めることであって、誰もそれを云々することはできないと思う。もしかしたら、自分の代では不可能かもしれない。だとしたら、次の代、次の次の代に継いでいけばいいと思う。歳月を重ねることで、妄想は現実のものになるはずだ。江戸時代に月まで旅するなんてことは妄想極まる話だったろうが、今や実現し、そう時間が経たないうちに誰もが簡単に月旅行ができる時代がやってくるだろう。

そう考えると、妄想はひとつの予言といえるのではないか。そう、妄想する人間は、予言者なのである。時代を一歩も二歩も先ゆくことになるのである。そういった意味でも、どんどん妄想を進めたい。みなさんもいかがだろう。壁のある想像を止めて、どこまでも続く平原のような妄想を楽しんでみないか?

(0022)

 

◎森壹風の困った悩み相談室がスタートしています。
◎『如風俳諧』【処暑】をアップしています。
◎活版印刷研究所にコラムを掲載しております。

RSSリーダーで購読する

裁判沙汰

さて、桜吹雪の金さんなら、さるとかにのもめ事をどう裁いてくれるのだろう?

 

それは、裁判員制度が云々されていた頃だから、もう10年も前のことだったと記憶している。さるかに合戦がらみの話を裁判仕立てで書けないものか…と考えた。親がにが殺害された直後に子がにたちが裁判を起こした、という設定で、書こうと思ったのだ。被告人は、さる。原告は子がにたちである。原告側の証言者として、ハチや臼、フン、つっかえ棒、イガグリが登場する予定だった。これを書くには、一度、法廷を見学する必要があると考え、法廷見学を趣味にしている人にあれこれ相談したりしていたが、具体的に動くことなく10年もの歳月が過ぎていった。

数日前に、やられたなぁ…と思わせることがあった。新聞の書籍広告欄で、『昔話法廷』なる本が出ていることを知ったのだ。調べてみると2015年8月15日にEテレの番組『昔話法廷・さるかに合戦裁判』として放映されたものが書籍化されているらしい。ちなみに『昔話法廷』は、2015年8月11日から2018年8月14日まで年に2~3回のペースで計10話が放映されている人気番組なのだそうだ。これまで、先のさるかに合戦をはじめ、三匹のこぶたやカチカチ山、ブレーメンの音楽隊など、世の東西を問わず誰もが知っている昔話を裁判仕立てで取り上げてきたようだ。

10年前といえば、日本もいよいよ法廷で争うのが通常になる国家になりそう…という雰囲気が立ちはじめた頃だった。とにかく問題が起これば、法廷に持ち込むことが多くなってきていたのだ。それまでは、とかく穏便にすませようということで、法廷に持ち込むのはもめた時の最終手段として捉えられていたように思う。それが、まずは裁判所に持ち込んで…という風潮が生まれつつあったのだ。なんとなく、ぼくは、それを哀しく感じていた。第三者を交えて、話をまとめるということは大切なことだと思うが、その第三者が裁判所なのか?と思った。もう少し、人肌の体温を感じられる対応はないのか、と考えたのだ。

確かに、裁判所に持ち込まない場合、示談屋などのブラックな人たちが暗躍する機会をつくってしまうことが多々あったと思う。とかく闇の世界に頼まなくてはならないような問題もたくさんあっただろうから。それを表沙汰にしないためにも、件の輩は、必要悪として存在していたのだと思う。裁判に持ち込めば、出来事は公にされるかもしれないが、公正さは保てると思われる。そういう意味では、法廷主義は意味があることだといえるだろう。

でも、それはそれで、法に対して公正かもしれないが、どこか人間の機微というか凸凹に十分対応できているのかどうか、ぼくは疑問を持っている。やはり、人間がつくったものだから、法とて完璧であるはずがない。どこかに誤りや矛盾を持っていると思う。それらを機敏に変更して、時代に即したものにしていかなければ法は機能していかないのだけれど、立法の方々の様子を見ていると、自分たちが法をつくっているという自覚がイマイチ感じられない。世間を見ていないといってもいいのかもしれない。スーパーでキャベツ1玉がいくらで売られているかを知っている政治家がどれだけいることか…。そんな状況で法の適正度を推し量るなんてことができるか、とても疑問だ。だいたい明治初期に定められた法がいまだに履行されているのだから驚くしかない。100年も経って、旧式化していないものなど想像できないではないか。

で、昔話法廷に話を戻す。先を越されたので、とても悔しい。というか、それくらいのアイデアは誰でも思いつくということなのだろう。でも、形にしたいという希望は捨ててはいない。ぜひ、近いうちに、大岡越前守か遠山左衛門尉にさるかに合戦を裁いていただこう、と考えている。

(0021)

 

◎森壹風の困った悩み相談室がスタートしています。
◎『如風俳諧』【処暑】をアップしています。
◎活版印刷研究所にコラムを掲載しております。

RSSリーダーで購読する

基本的な社員教育

会社は、即戦力の実践の場としての機能に加え、人間をどう成長させるかという教育の場でもある。

時々、社員研修なるものを担当させていただくことがある。テーマは、たいてい『発想術』とか『編集技術』、『プロモーション戦略』となっている。どう考え、どう加工し、どう展開するか…そういった基本的なことを身につけていただこうというのが主旨の研修で、受けてくださった人たちは「頭の中がぐにゃぐにゃになった」という感想をお持ちになるようだ。

ぼくたちは、発想をするときに、そのプロセスをよく理解せずに行っている。例えば、連想ゲームを思い起こしてみてほしい。「リンゴ→みかん」と連想する人がいるかと思えば、「リンゴ→白雪姫」と思い浮かべる人もいる。あるいは、「リンゴ→コンピューター」と答えたりする人もいたりする。これを“なんとなく思いついた…”と考えていては、なかなか前には進めない。リンゴをどういう視点から捉えるか、を考えてみようというのが、ぼくの研修の中身である。

リンゴを果物という属性で捉えれば、みかんという存在が浮かんでくる。リンゴを小道具という要素で捉えるならば白雪姫が登場する。あるいは、象徴という機能で捉えたらアップルコンピューターが出てくることになる。これらの視点を後付けではなく、先に想起して連想してみよう…みたいなことを研修では行っている。

つまりは、発想のしくみを解き明かして、アイデアの幅を広げられるようにしようという、ごくごく基本を捉えた研修なのである。興味のある人がいたら、ぜひ、お声がけいただきたい。全国津々浦々、どこにでも参上させていただく。

ところで、ぼくのような社員研修をはじめとして、さまざまな研修が行われているようだが、ぼくが企業に「ぜひ、これをしてほしい」という研修がある。ま、研修というよりは、訓示のようなものなのであるが。それは、①歩きスマホは絶対にしないこと、②リュックサックを持って電車に乗る時は、必ずお腹の方でホールドする。この2点を社員に徹底してほしいのだ。

会社は、学ぶ場ではなく実践の場だ、と言われている。確かに、即戦力が求められる場である。しかし、そこは「成長の場」であるはずだ。スキルとともに人間性のアップが求められている。社員ひとり一人の成長なくして、企業の成長はありえない。スキルアップも大切だが、人間性の向上にも注意を払ってほしいものである。できれば、企業が“生涯学習”の場になってほしいと、切に願っている。

(0020)

 

◎森壹風の困った悩み相談室がスタートしています。
◎『如風俳諧』【処暑】をアップしています。
◎活版印刷研究所にコラムを掲載しております。

RSSリーダーで購読する

個性について

ぜんぶ「ピータン」。でも「ピータン」一匹一匹はどれも違う。これが「個性」というものだろう。

若い人たちに「今、一番したいことはなに?」と尋ねたら、ほとんどの人たちが「個性的に生きたい」と答えるそうだ。自分らしく生きていきたい人がたくさんいるということは、逆にいうと自分らしく生きられていないと感じてる人が多いといえるのかもしれない。多くの人が自分を見失っているのだろうか…。

では、「個性」ってなになのだろうか?小学館のデジタル大辞泉によると“個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。個人性。パーソナリティー。”とある。つまりは、個人の特性のことをいうのだ。ということは、生まれてきた人なら誰でももれなく個性はついてくるはずである。ムリして他人に合わそうなどとしない限り、ひとり一人に「個性」があるはずなのだ。

でも、哀しいかな、人は自分を他人と比べ“個性がない”と嘆いてしまう。“もっと、もっと輝けるはずだ。それには、もっと個性を磨かねば…”と自分を卑下してしまう傾向にある。個性は決して「能力」や「才能」のことではない。いいところ、悪いところ、すべて含めた凸凹のことを「個性」と呼ぶとぼくは考えている。誰かと自分を比べて、それぞれの特長を分析し、自分磨きに活かすなら「比較」は有用だと思うが、自分の劣っているところを見つけて卑下したり、相手の劣っているところをほじくり出して慢心したりするのは、違うと思う。

かつて、映画『千の風になって』を撮った金秀吉監督に教えてもらった言葉がある。「分析はしてもいい。でも、評価はするべからず」。どんな事象も比較しなければ本質を見つけることはできない。それは、「長いか短いか」「太いか細いか」といった客観的な比較にするべきだ。「長いから優っている」「太いから劣っている」という評価は論外ではないだろうか。これらの「長い」とか「太い」とかいったことが個性なのだと思う。卑下することなく、慢心することなく、等身大の事実として受け入れればいい。自分で変えたいと思うなら変えればいい。決して他人と比べてどうこうしなくてもいいと思っている。

どうせなら、「個性」よりも「孤性」を大事にしたいと思う。「孤性」という言葉は辞書には載っていない。ぼくが勝手につくった言葉だからだ。「孤」には唯一無二という意が込められている。オンリーワンということだ。だから周囲には誰もいない。たった一人きりだ。この孤独感が「孤性」を育むのではないか、と考えている。イチローがあのようなポジションを保っているのは、常に孤独だからだと思う。常に、自分との闘いに向き合っているからだと。ぼくは「孤」という文字に、自分自身との闘いの気を感じるのだ。だから「孤性」という言葉を大切にしたいと切に思う。

若い人たちに言いたい。「生きている限り、“個性”はあるんだよ。あなたがあなたでいる限り“個性”は発揮されている。だから、もっと自分を信じて、もっと自分を大切にして、堂々と生きてください」。唯我独尊で、いいんだと思う。

(0019)

 

◎森壹風の困った悩み相談室がスタートしました。
◎『如風俳諧』【立秋】をアップしています。
◎活版印刷研究所にコラムを掲載しております。

RSSリーダーで購読する