心頭滅却すれば…

よく働いた後のビールは、「心頭滅却」させてくれる!

今から遡ること四百三十年ほど前の天正十(1582)年、武田勢の禅僧・快川紹喜は、敵である織田信長に自山の恵林寺を焼き討ちされ、焼死したという。その時、遺した辞世が、「安禅不必須山水 心頭滅却火自涼」。いわゆる「心頭滅却すれば火もまた涼し」である。意味は、「心の中から雑念を取り去れば、火でさえも涼しく感じられる」ということ。なんでも心の持ちようだ、ということなのだろう。この言葉、もともとは、9世紀に実在した中国の禅僧・杜荀鶴の詩集『夏日悟空上人の院に題す』に収録されていたものの転用だといわれている。

この「心頭滅却すれば…」という言葉は、超有名で、ぼくも子どもの頃から知っていた。中学生の頃の夏のクラブ活動では、よく口にしていたのを憶えている。あの頃は、練習中の水飲みはもちろん禁止、暑さで倒れようものなら、「根性がない」と叱責されたものだった。今のご時世と比べたら、信じられないくらいのスパルタの中で、ぼくらは育っていたんだなな、と思う。

現在の東京の7月の平均気温が70年代に比べて、なんと3℃も上昇しているという。半世紀近くで3℃というと、それほどでもないな、と思ってしまいそうだが、ある試算によると「気温が3℃上昇すると海水面が9m上昇する」とされているそうだ。ちょっとした防波堤なら軽々と超えてしまうほどの大事なのである。

地球温暖化の恐怖を生々しく感じている今日この頃、まだ、「暑さに耐えられないのは、根性が足りないから」と発言しているお爺様がけっこういらっしゃると聞く。「学校にはエアコンはもっての外」とか、それこそ「心頭滅却ができていない」との言葉が飛び交っているそうな。確かに、世間全般で、「我慢する」という姿勢が見られなくなっているようには感じるが、やはりこの異常気象。いくら、心頭滅却しようとも、暑いものは暑い。紹喜和上だって、結局、火に焼かれて命を落としたではないか。やせ我慢し過ぎてても、仕方がない。

サウナの如く熱風が吹き荒れる日には、ひと仕事終えて、風呂でさっと汗を流した後に、冷たい麦汁をクククククー!と飲み干すのが、一番の「心頭滅却」ではなかろうか。この心地よささえあれば、熱々の料理だって涼しく感じられるはずだ。

まだまだ、紹喜師の域には近づけそうもなかりけり…である。

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