Restoryの時代。

悲劇の戦国武将・明智光秀。2020年のNHK大河ドラマ『麒麟がきた』では長谷川博己が演じて主役を張る。

 

よく聞く話ではあるが、history(歴史)とstory(物語)は、語源を同じくする兄弟のような単語だということである。どちらかを起源にして派生したわけではないようだが、storyにhiをくっつけてhistoryが生まれた…という、まことしやかな説が出てきたりしている。これは、実は虚説なのだそうだ。

いずれにしても、historyは、過去における物語を綴ったものである。そういった意味では、神話や伝説、昔話などもhistoryのカテゴリーに加えてもいいのかもしれない。真偽は別にして、いずれも過去の物語を綴ったものだからである。

ただ、史実に基づいた本来のhistoryについては、真偽のほどが怪しいものをたくさん見受ける。古事記における神代の大君については、まともな年歴計算をすると二百年以上の生涯だった例がいくつも見られる。「そんなことあらへんやろー」となるところだが、歴史史料として認められている。

また、よく「歴史は勝者によってつくられる」といわれるが、まったくその通りで、冤罪を受けている歴史上の人物がたくさんいる。例えば、わがふるさと亀岡に関わる明智光秀。まず、彼を討ち取った羽柴秀吉によって史実がゆがめられた可能性がある。そして、何より戦時中の軍部による情報操作があった。朝鮮半島と中国大陸進出の正当性を高めるために、軍部は織田信長と豊臣秀吉を日本史上の英雄に祀り上げた。その施策のひとつとして、明智光秀を反逆者として二人の地位を高めようとしたのである。その逆賊の地位が今、逆転されようとしている。さまざまな史料の矛盾が解かれ、誤解が解かれようとしているのだ。そして、2020年には、いよいよNHK大河ドラマの主人公として登場する。

もう一人、勝者というか権力者によって、極端に評価を下げられている人物がいる。殺生関白といわれる豊臣秀次である。彼は、叔父であり養父である秀吉から関白の地位を譲られ政を取りまとめていたのだが、拾(後の秀頼)が生まれたとたんに謀反の疑いをかけられ、高野山に蟄居した直後に切腹して果てた。彼の一族郎党30数名は、三条河原で公開処刑され塚が築かれた。さまざまな淫行や辻斬りなどの蛮行が指摘され、「殺生(摂政)関白」と呼ばれた、とある。しかし、しかしである。これらの酷い行いを指摘しているのは、ほぼ時代の下った江戸時代に書かれたものにおいてである。江戸幕府という政治のトップの意向や著者の先入観など、さまざまなマイナスのフィルターがかかっているのは確実である。まともなことを書いているのは、上田秋成が『雨月物語』の一編『仏法僧』で、後年の噂がいかにいい加減で信用ならないものであるかを訥々と説いているくらいである。秀次に関しては、この秋からぼくの手で物語を書いて彼の無念を晴らそう…という活動を秀次と彼の一族郎党を祀る瑞泉寺の住職でイラストレーターの中川学さんとはじめようと話を進めている。

また、鎌倉の観光資源づくりの一環で、源頼朝のブランディングに取り掛かろうというプロジェクトも水泳の背泳ぎでいうところのバサロ状態であるが、進みつつある。どうも、この数年は、これまで誤解されてきた歴史上の人物の大逆転劇が続くような気がする。まさに、historyのrestory化が起こりそうなのである。その担い手のひとりとして活動できたなら本望である。

(0018)

 

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手紙の効用

手紙を出すということは、現代人に最も欠如している「イマジネーション」を育てることにつながる。

 

最近、手紙を書いたことがあるだろうか? はたまた、葉書に文をしたためたことはあるだろうか? ほとんどの方が「いいえ」とお答えになるのではないか、と思う。実際、SNSの浸透で、文章を書くといえばPCあるいはタブレット、スマホの上で…ということがほとんどではないだろうか。時候のあいさつである年賀状や暑中見舞いもメールやLINEで、というのがほとんどだと聞く。日本郵政もタイヘンだな。日本郵政の統計によると年賀状の発行枚数は1949年の初発行時の1億8千枚以来伸び続けて、ピークの2003年には44億8千枚となった。しかし、その後は減少傾向に移り、一昨年2017年には29億7千枚弱まで落ち込んだ。どうも、国民の筆離れがすすんでいるようだ。日本郵政もたまらないことだろう。

SNSでのコミュニケーションは、字が下手だとか、いちいち道具を使わなくても簡単に書くことができるとか、すぐに相手に届くとかいったメリットがたくさんある。みんなが、こちらに走るのも納得できる。とにかく便利なのだ。ただ、この便利さが、逆にあやういようにも感じる。いろんな書体が選べるということはあるものの、やはり画面上の文字は画一的である。なかなか伝えたい想いのニュアンスを伝えきることはできない。それをなんとかするために、絵文字やスタンプなどが開発され、発展しているのだけれども、やはり手書きの多彩・多才さに比べたら、ぼくには見劣りがする。ないものねだりかもしれないが…。

それと最大のデメリットは、人間から「待つ喜び」というものを奪ったことではないだろうか。手紙や葉書は、いつ相手に着くのか確約がない。たいてい2~3日で着くのだろうが、書留で送らない限り着いたかどうかも分からない。そして、それが読まれたかどうか、は不明のままだ。LINEなどは既読マークがあるので、確認できるのだが、逆に「既読スルー」なんてことが発覚して、相手とのいさかいを招いたりすることもある。そして、手紙・葉書の一番の特性は、いつ返事が来るか、まったく分からないということである。比べることではないかもしれないが、平安王朝の時代には、殿方に出した手紙の返事を60年間も待っていた姫君がいたという。これは、まったくおとぎ話のようなことであるが、とにかく手紙・葉書文化は、「待つことを是とした文化」だったのである。

今や、少なくてもその日のうちに返信しないと礼儀知らずとののしられる。時には、既読スルーして大ゲンカになったり、人を殺めるような事態に陥ることさえあるようだ。現代人は、ずい分とせっかちになってしまったものである。それもこれもやはりネット社会の功罪という他ないのではなかろうか。

このような性急を請求するSNSを根絶しようとは思わない。便利なところもあるから、やはり使いようだと思う。ただ、SNSだけのコミュニケーションにどっぷりと浸っいていいものか、とも感じている。暮らしのどこかに、手紙・葉書のスタイルを残しておくことはできないか、と。いつ届くか分からない返事のことをあれこれ想像するというのは、楽しいことのはずだ。郷ひろみも楽曲『よろしく哀愁』で歌っていたではないか。♪会えない時間が愛育てるのさ。目をつぶれば君がいる…と。「待つ」ということは「育てる」ということなのだ。

この秋から、とある高校で「手紙の書き方講座」を担当させてもらうという話が出ている。高校生くらいから手紙に親しんでおくと、きっと一生ものになるのではないか、と期待している。ほんの小さな水輪ではあるが、これが将来大きな輪になって広がっていくことを願っている。徹底的に尽力したいと思っている。

(0017)

 

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飛びぬけてデカかった…

周りから飛びぬけてデカいと、ついつい上から目線が日常になってしまいがち…用心、用心。

 

小さい頃から大きい子だった。幼稚園の頃の写真を見ると、ひとりだけ飛びぬけてデカかった。小学校4年生で160㎝になった。担任の女性教師は、昭和ひとケタ生まれの女性だったが長身で「あんた、私といっしょの背丈やね」と驚いていた。小学校を卒業する頃には170㎝になっていた。この頃、母親といっしょに買い物に行くと、知り合いのおばさんから「あらー、もう高校生やのん?大っきなったなぁ」と感心された。きっと、「この子、高校生やのに頭悪そうやな…」と思われていたに違いない。

そんなデカい子だったので、自然と周りから怖れられていた。ガタイがデカイというだけで畏怖心を駆り立てるのだろう。そんなこともあって、中学生までけっこうリーダー的な存在だった。でも、その理由は、他の子よりも体格がいい…ということだったのではないか、と今は思っている。それは、見た目が大きいというだけであって、中身とか器が大きいというわけではなかったのだ。それに気づくのが遅かったように、今は感じている。そう、ぼくはついこの間まで、自分を誤解して生きてきたのだ。でも、今、気づいている。手遅れではないと思っている。

とにかく中途半端は哀しい。異なる視点から見れば、それは“平均値”ということなのではあるが、それは、一面では“埋没している”あるいは“無個性になる”ということもできる。大きくなかったら、いっそのこと小さくなりたい…と思ったこともある。なんでこんなことを考えたかというと、中学生も3年目になると、それまで学校のヒマラヤ山脈のように扱われていたのが、周りの造山活動が盛んになっていって、どんどん山が高原になり、いつのまにか、こちらが見上げるような立場になってしまったからだ。大きな人間が平均的な人間になるのは、やはり哀しいことだった。高校生になる頃には、自分は平均ちょっと上なんだという意識が身についていた。等身大を知るということは、よいことなのではあるが…。哀しかった。

そんな十代を過ごして、今や五十路の半ば。今では、身長の大小なんて、まるで気にならないけれど、器の大きさには関心が向く。なんで、そんなことで怒ってしまうかなぁ…とか、つまらぬ小さな損得にこだわってしまっている自分を見つけた時には、激しく自分の器の小ささを実感して凹んでしまう。そんなとき、あの中学生の後半の記憶がよみがえってくる。あぁ、このままじゃダメだ、と思う。もう一度、等身大の自分を受け入れろ!そこからはじめろ!と。そんなことを繰り返している。あ、繰り返しているといっても俯瞰からだとグルグル回っているように見えるが、きっと横からなら上昇しているんじゃないだろうか。そう螺旋のようにグルグル回りながら上に向かって昇っているのだと信じている。きっと器は大きくなっているのだろう。きっと…。

(0016)

 

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ワザ。ワザ…道化者

道化師ピエロの目には、いつも涙が描かれる。笑いは、常に哀しみと背中合わせにある。

太宰治の著書『人間失格』の第二の手記に、旧制中学校時代に主人公が鉄棒で失敗をして、クラスメイトから大爆笑をもらうシーンが描かれている。道化を演じることを目的に主人公は、計画的に失敗し、皆の笑いを誘うのだが、ただ一人、竹一という体育の授業を休んで眺めていた少年が、その計画的失敗を見破り「ワザ」。ワザ」と低く小さな声で指摘した。という一節なのだが、ぼく自身、このエピソードにすごく共感するところがある。

ぼくが小学校3年生の一学期の最初の授業の時だ。2年生の夏休み後に転校してきたぼくは、2学期、3学期と幾人かの友だちをつくって、なんとか新しい学校になじんでいた。でも、心のどこかで淋しさを感じていた。その頃は、明確に感じていたわけではない。今となって思うに、そういうことだったのだと思う。そこで、新しい学年になった最初の授業で大芝居をうった。先生が教壇に立った後、生徒たちは起立して礼をする。そして、着席するのだが、ぼくは自分の足でイスを払い、わざとこけて尻もちをついたのだ。とたんに、教室は笑いに包まれた。その日から、ぼくはクラスの人気者になることができた。幸いなことに、このクラスには竹一のような人物がいなかったのである。

♪誰か指切りしようよ、僕と指切りしようよ
軽い嘘でもいいから、今日は一日、はりつけた気持ちでいたい
小指が僕にからんで動きがとれなくなれば
みんな笑ってくれるし、僕もそんなに悪い気はしないはずだよ

これは、井上陽水の『氷の世界』の一節。もう30年ほど前だったか、新潮文庫の広告で「ぼくも太宰でした」というキャッチとともに陽水が登場していたのを憶えている。この曲を聴く度に、小学校3年生のあの出来事を思い出す。

子どもは子どもで、幼いながらもいろいろ考えているんだな、と思う。道化に頼って友だちを増やそうとしたり…。それは、もう涙ぐましい努力を重ねている。そんな姿を見て、おとなたちは「小賢しい」と非難したりする。果たして、どうなのだろう。子どもだって必死なのだ。笑われてもいい、とにかくみんなと仲良くしたい。ただただそう想って演技をしたりする。それを非難で一蹴してもいいものだろうか。いや、ホメることはないものの、非難することはできないと思う。

小学校3年生で、「ワザ。ワザ」を仕出かしてしまったぼくは、もしかしたら「人間失格」なのかもしれない。たとえ失格しようとも、道化者になろうとも、しっかり最後まで生き抜いてみたいと思う。決して入水などしないように。

(0015)

 

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お盆

東京・上野の不忍池で撮った蓮の花。池中に蓮の花が咲き乱れ、さながら極楽浄土のような雰囲気を醸し出していた。

今日は、お盆の中日。成仏されたご先祖様が我が家に戻ってくるど真ん中の日、ということだ。ということで、本日は、ぼくも「ご詠歌」を仏壇にあげた。西国三十三か所巡りを歌いながら辿るというものだ。この「ご詠歌」は、観音信仰を基にあいている。西国の三十三か寺にある観音様を称えるために綴られているのだ。第一番の那智山青岸渡寺から第三十三番の谷汲山華厳寺までのご詠歌を読み上げて、霊を弔うのである。

これをすべて読み上げると、だいたい40分程度かかる。我がまち亀岡市にある第二十一番札所の穴太寺を読み上げたところで休憩をいれるのが、森家のしきたりだ。三十三か所なのに二十一番で休憩とは、真ん中ではないのか?という声が聞こえてきそうだが、三十三番目の谷汲山華厳寺のご詠歌は三番あり、番外で、善光寺二番、高野山一番がある。ということで、穴太寺が真ん中となるのである。

ぼく自身、門前の小僧、習わぬ経を読むが如く、幼い頃から本家に行ってご詠歌を聞いていたので、今更ながら自分でも間違いながらも読むことができるのだが、ぼくの子どもたちにはどうだろう?と一抹の不安がある。うちの親父は、ぼくにあげてもらっているが、ぼくには誰があげてくれるのだろう…。早急に読み手を育てなければならない…と焦ってみたりもする。が、息子・娘たちには、期待できないだろう。日本文化継承の脆弱さをこんなところに感じてしまう。

世間では、結構、「抹香臭いイメージ」のある行事ではあるが、ご詠歌をあげていると不思議と気持ちが落ち着く。座禅や瞑想に近いものを感じるのである。繰り返される鉦の単調なリズムと五七調の歌…詠みあげる方も追随する方も、進めていくうちに、ある種の「白目状態」になることがある。これは、アフリカの呪術系の音楽や神楽のお囃子に通じるものがある。続けることで恍惚状態をつくりだすのである。やはり、ひとつの宗教儀式なんだな、と思う。

元来、お盆は精霊を迎え、そして送る期間である。決して、余暇を楽しむ期間ではなかった。お盆の正式名称は「盂蘭盆会」。これは、サンスクリット語の「ウラバンナ」の音写語といわれている。日本では「お盆」のほかに精霊会」(しょうりょうえ)「魂祭」(たままつり)「歓喜会」などとも呼ばれている。仏教や儒教、神道などが習合していたかつての日本で生み出された風習なのだ。

大阪の企業に勤めて、びっくりしたことがある。京都では盆休みといえば8月16日までが常識である。五山の送り火があるように、京都人は16日に精霊を送って盆を終える。しかし、大阪は違った。盆休みは15日まで。16日は平常営業日なのだ。大阪に拠点を置いて、早20年。なんとなく大阪の風習にも慣れたが、やはりぼくにとっては、盆休みというか盂蘭盆会は8月16日まで続くものである。

さて、明日は、精霊を送る16日。ぼくも玄関で火を焚き、ご先祖様を彼岸の地に送る。煙に乗ってご先祖様は帰っていかれる。親父も戻っていくんだ。もうすぐ、旅立って干支がひと回りする。ぼくも齢を重ねたものである。

(0014)

 

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私にも、できそう…

誰も真似できないような上手な歌手は売れない。あれくらいなら真似できそうと思わせて、簡単に真似できない人が売れる。

ある売れない歌手がタモリに相談した。
「私は、誰よりも歌が上手いのに、全然売れない…。なぜなのでしょう?」と。確かに、彼女の歌は抜群に上手かった。それは、誰も真似できないようなレベルだった。タモリは答えた。
「上手すぎるんだよ。そんなに上手かったら、誰も真似しようと思わないでしょ。だから、売れない」と。

この話を聴いて、ぼくは、プロとは何か、ということが少し分かったような気がした。ぶっちぎりで上手かったらダメなんだ、と。いや、どんなに上手くても、誰もが到達できないような上手さを自慢するがごとく見せてはいけないのだ。あれくらいなら、もしかしたら自分にもできそう…と思わせるのがプロというものなのだろう。

同じような話をお世話になっているアーティストからも聴いた。あるアートの審査会で、超テクの作品が選ばれようとしていた。海外から招かれた審査員が意見をした。
「この作品は、テクニックに溺れてしまっている」と。
作品は、本来ならメッセージを伝えるためにテクニックを駆使する。それなのに、この作品は、メッセージよりもテクニックが立ってしまっている。本末転倒ではないか、というのだ。

いわゆる“ヘタウマ”という手法がある。誰でもできそうなローテクで表現されたものを指す。それを見る人たちは、半分バカにしながらも親しみを持つ。心の底にあるのは、“これくらいなら、自分にもできそうだ”という思いだ。でも、いざ、真似をしようとしても、その味を表現することはムズかしい。門は広く開け放たれているが、その奥にある道は狭く、急だ。だからこそ、人は魅せられるのかもしれない。

酷い言い方かもしれないが、現代芸術は、“巨大にするか、大量に並べるか”が勝負どころだと考えている。そんな作品がいかに多いことか。そして、もうひとつ感じるのが、“いかにテクニックをひけらかすか”である。いずれにしても、メッセージは二の次で、まず手法あり…のように感じる。すべてがそうだとは言わないが、そんな作品がけっこう幅を利かせているのではないか、といぶかってしまう。

タモリに相談した歌手は、技術に溺れて、本来、歌が持っているはずの目的を見失っていたのだろう。いかに、聴く人を感動させるか。それが、テクニックで驚かそうとしていたのだ。超テクに対して、人は目を丸くして驚くかもしれないが、心を動かすことは少ないだろう。

本当のプロとは、テクニックで驚かす人ではなく、テクニックを使って心を揺さぶる人なのだということに気がついた。プロとは、お金を稼げるとかではなく、人に“自分も同じようにしたい、なりたい”と思わせることができる人なのである。

(0013)

 

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戦わずして相手に勝つ。

闘っているのか、会話しているのか… 指相撲は、とてもなごやかな戦いだ。

孫子は、兵法において一番大切なことは“戦わずして勝つこと”だと説いている。実際に戦闘を行って、大切な兵員に被害を出すことは、国力の衰退に通じる。兵を用いずして勝つことを考えるのが、将の務めだと説いているのだ。でも、そんな視点を持つ将がどれほど居るだろうか。

戦術に溺れ、自分の考え出した戦術を試すべく兵を動かす輩。自らの功のみに目を奪われ、兵の撃滅されるのもいとわない鬼。ただただ上意に従うのみで対局を視ずに無駄な行動指揮する愚者。これらは、戦争をしている時だけでなく、平和な現代においても通じることだ。

経済戦争、企業戦争などと呼ばれる現代、社会における経済活動は、まさに戦争と同じだ。いわゆるブラック企業と呼ばれる組織は、現場に過酷な奉仕行動を迫る。それは、「出世」とか「報酬」とか「自己実現」といったニンジンを目の前にぶら下げることで実施される。現場は、過酷な状況が続くと環境に馴らされ、いつしか感覚が麻痺してくるものだ。異常も日々続けば日常になってしまうのである。そして、適切な判断ができなくなってしまう。集団で不正が行われるメカニズムの根源は、こんな精神状態にあるのではないだろうか。

戦わずして勝つ…それには“権謀術数”に長ける必要がある。こう書くと、とても卑怯にならなければならないのか、と思えてしまう。しかし、別の視点からみると、それは“コミュニケーションに長ける”ということができるのではないか、と考えている。少し甘ちゃんな意見かもしれないが、ウィン・ウィンとなるような条件を探り提示していくとか…。そんな頭脳を駆使したコミュニケーションが、無駄な衝突を避け、新しい世界を築く轍となるのではないか、と思っている。

勇ましい姿は、確かに多くの人たちの羨望を集めることができる。潔い姿もたくさんの人たちの目に凛々しく映るものだ。しかし、時に彼らの行動は、自決的に向いてしまうことがある。どこかに滅びることへの美学が仕込まれているように感じられる。もっとも、人は“劇的”なるものに魅せられる。劇的とは、ある意味、滅びの美学や頑ななるものに冠されるような気がする。しかし、劇的とは、異界での出来事。すべてがそれに引きずられていては、未来はない。劇的養成ギブスを外して、もっと日常を生きるべきだと思う。

戦わずして勝つ。日常の生活において、それが具体的にどんな行動になるのか…それは、なかなかイメージできない。ただ、ひたすらコミュニケーションを取ってみることではないか…とおぼろげながらも思っている。自分の考えを明確な言葉で示し、相手の想いをからだで受けとめる。そういったことではないか、と思う。道は遠く長いかもしれないが、そこに向かって進んでいきたいと考えている。

(0012)

 

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外骨格を脱いでみると…

人類は外骨格を強化することで進化してきた。しかし、外骨格は、あくまでもアタッチメントのひとつでしかない。

省庁やスポーツ団体のガバナンスが問われる事件が、ここのところ続発している。公文書改ざん、負の忖度、パワハラ、セクハラ、裏取引き…。まったく一般庶民からすると信じられないような事が横行しているように見える。

昭和30年代から40年代に生まれた世代にとっては、こういった出来事はドラマやアニメの中で起こること…という印象があった。強大な悪の巨大組織が世界を征服するために不正の限りを尽くす。それに対して弱小ではあるが強い正義感を持った人々が戦いを挑む。今から思えば、勧善懲悪の強烈な匂いのするストーリーだらけだった。でも、子どもだったぼくは、正義の人たちの活躍に胸躍らせたものだ。

そんな原体験を持つ人間にとって、今、目の前で起きていることは、これまで「善」であると信じていたものが、オセロゲーム的に立場を逆転させて「悪」に転じたように見えた。「あなたは大岡越前だと信じていましたが、悪代官だったのですね」という感じだ。

現在のガバナンスについて思うことは、すべてが外骨格的だということ。それぞれのからだの中にガバナンスが入り込んでいない。まるで、甲冑のようにガバナンスを着ているように思える。からだの中に入れておけば、決して脱いだりすることはできない。しかし、外骨格あるいは甲冑だと、都合に合わせて脱ぎ去ることができる。自分の都合によってガバナンスを操作することができるのだ。

わが師、橘川幸夫氏に教えてもらったことは「情報社会に必要なことは、人々がルールを自身の中に摂り入れること」ということだ。よく“ルールに縛られる”と表現するが、これから先は、身の外にあるルールに縛られているようではいけないのだ。自らの身の内にあるルールを指標に自らを律していかなければならない。もしかすると、そのルールは“モラル”なのかもしれない。

ぼく自身は思う。もう甲冑は脱ごう。自らの身体を鍛えよう、と。脱ぐのが大変なら、せめて、身の虚弱さを思い知りたい。外骨格で守られていることを意識したい。この自覚が広がれば、世界は変わっていくような気がする。

(0011)

 

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No Wind No Blow

風が吹いている。でも、風を直接見ることはできない。吹かれる草木を見て、風があることを知る。

風は、動いてこそ風になる。動かなければ、ただの空気にしか過ぎない…。時々、この話をすることがある。風を起こしたいなら、まずは、空気を動かすことだ。

凪という現象がある。風冠に止と書いて“凪”。うまく考えたなぁと思ったら、やはり国字だった。国字というのは、日本でつくるれた漢字のことだ。よく知られている国字に、峠(山を上がり下がりする)、畑(田を焼くのが畑)などがある。風が止まるから“凪”。なんとも日本的な表現だと思う。こんな風に、編集センスを活かしてつくられた国字は、ある意味、日本文化の象徴であり、誇りであると思う。中国でも逆輸入して使っているそうだ。

閑話休題。風の話である。風は直接、目で見ることはできない。小枝が揺れるとか、何かが風で飛ばされるとか、間接的な現象を見て、風を感じている。あるいは、風の強さを肌で感じるとか、音を聴いて存在を確認するとか、触覚や聴覚で認知していることも分かる。直接、視覚で認知できないということが、なんとも魅力的ではないか。

空気は、常日頃、意識しにくいが、なくなると、その存在の大きさが分かるといわれている。食物を一週間摂らなくても命を維持することができる。しかし、空気はほんの数分摂取できなければ絶命してしまうのが生命体というものだ。でも、いつも存在していて、よほどの事件が起こらない限り無くなることがないので、空気はその存在意義や存在価値を認識されることが少ない。そして、無くして、その価値に気づいた時には、ほとんどの場合、手遅れとなる。命を失いかねないのだ。

その空気が動くと風になる。“転がる石に苔むさず”という。動いている者は、常に新鮮でいられる。老朽化しないのである。若さを保てるということだ。風は、いつも新しいのだ。

風は、さまざまなところに旅をする。峰を超え、大河を渡り、街を抜けていく。そして、そこに暮らす人々と交わり、その人たちに新しい人生を与えることもある。そんな風のような人がいる。風の又三郎然り、スナフキン然り。できるなら、風のように生きていきたい…と思う。いつも動いていて、いつも旅をしていて、そして、人とふれあうのが大好きで。そんな人間になりたいと思っている。

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カゼひき地球さん

温暖化だの寒冷化だのいう前に、地球はカゼをひいているのかも…。自然治癒力に期待したい。

昨夜から気温がグンと下がった。夜道をバイクで走っていると肌寒いくらいだった。Tシャツに短パン。真夏の出で立ちには少し酷な夜だった.

テレビは、連日、「キケンな暑さ」とか「自然災害級の猛暑」とがなり立てていた。確かに毎日のように誰かがどこかでなくなっていた。原因は熱中症。高齢の方が犠牲になることが多かった。「地球温暖化の結果だ」という報道がどこからか流れ、多くの人が、その説を鵜呑みにしているような気がする。

先日、ある人から聞いたのだが、今、地球は寒冷化に向かっているという。太陽の黒点が北半球に集中しているのだそうだ。早い話が、太陽内の核融合のバランスが取れていない状態ということらしい。この寒冷化の流れの中でのアクシデントというか突然変異のようなものとして、今年の酷暑があるというのだ。

確かに、今年は30年に1度の猛暑だが、来年の夏が同様かといったら、そんなことは無いように感じる。もしかしたら、30年に1度の冷夏になるかもしれない。温暖化が云々なんていってられない。「地球環境混沌化」とでもいうべきか。まったくよく分からない時代になったものだ。いや、どの時代だって、こんなものだったのかもしれない。

かつて、何かの本で読んだのだが、あるヨーロッパの人が、日本にやって来た時に、瀬戸内海を見て感動のあまり叫んだそうだ。「日本にも立派な大河があるじゃないか!」と。人とは、自分のキャパシティの中でのみ事象を判断する。ライン川やテムズ川を見慣れた人は、それくらいのサイズの水の流れを見ると、たとえそれが海であっても川と認識してしまう。身近なところなら、山国育ちが琵琶湖を見たら「海」と思ってしまう。そういうことだ。

今年は、とにかく暑い。だから「地球は温暖化している」と判断するのは早計というものではないだろうか。秋を過ぎると極寒の冬がやってくるかもしれない。これまでの常識では計り知れない地球環境のサイクルがはじまっているのかもしれない。温暖化以上に、この無秩序の方が怖いと思う。どこかで地球が狂いはじめているのではないか。ただ、このような狂いも地球46憶念の歴史の中では、何度も繰り返されてきたことなのではないか。

大きな大きな流れの中の、ほんの一瞬をぼくらは活きている。地球いや宇宙からしたら、ぼくらは瞬いている間に生きるちっぽけな存在なんだろう。身の程をわきまえて生きていきたいものだ。

(0009)

 

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