Restoryの時代。

悲劇の戦国武将・明智光秀。2020年のNHK大河ドラマ『麒麟がきた』では長谷川博己が演じて主役を張る。

 

よく聞く話ではあるが、history(歴史)とstory(物語)は、語源を同じくする兄弟のような単語だということである。どちらかを起源にして派生したわけではないようだが、storyにhiをくっつけてhistoryが生まれた…という、まことしやかな説が出てきたりしている。これは、実は虚説なのだそうだ。

いずれにしても、historyは、過去における物語を綴ったものである。そういった意味では、神話や伝説、昔話などもhistoryのカテゴリーに加えてもいいのかもしれない。真偽は別にして、いずれも過去の物語を綴ったものだからである。

ただ、史実に基づいた本来のhistoryについては、真偽のほどが怪しいものをたくさん見受ける。古事記における神代の大君については、まともな年歴計算をすると二百年以上の生涯だった例がいくつも見られる。「そんなことあらへんやろー」となるところだが、歴史史料として認められている。

また、よく「歴史は勝者によってつくられる」といわれるが、まったくその通りで、冤罪を受けている歴史上の人物がたくさんいる。例えば、わがふるさと亀岡に関わる明智光秀。まず、彼を討ち取った羽柴秀吉によって史実がゆがめられた可能性がある。そして、何より戦時中の軍部による情報操作があった。朝鮮半島と中国大陸進出の正当性を高めるために、軍部は織田信長と豊臣秀吉を日本史上の英雄に祀り上げた。その施策のひとつとして、明智光秀を反逆者として二人の地位を高めようとしたのである。その逆賊の地位が今、逆転されようとしている。さまざまな史料の矛盾が解かれ、誤解が解かれようとしているのだ。そして、2020年には、いよいよNHK大河ドラマの主人公として登場する。

もう一人、勝者というか権力者によって、極端に評価を下げられている人物がいる。殺生関白といわれる豊臣秀次である。彼は、叔父であり養父である秀吉から関白の地位を譲られ政を取りまとめていたのだが、拾(後の秀頼)が生まれたとたんに謀反の疑いをかけられ、高野山に蟄居した直後に切腹して果てた。彼の一族郎党30数名は、三条河原で公開処刑され塚が築かれた。さまざまな淫行や辻斬りなどの蛮行が指摘され、「殺生(摂政)関白」と呼ばれた、とある。しかし、しかしである。これらの酷い行いを指摘しているのは、ほぼ時代の下った江戸時代に書かれたものにおいてである。江戸幕府という政治のトップの意向や著者の先入観など、さまざまなマイナスのフィルターがかかっているのは確実である。まともなことを書いているのは、上田秋成が『雨月物語』の一編『仏法僧』で、後年の噂がいかにいい加減で信用ならないものであるかを訥々と説いているくらいである。秀次に関しては、この秋からぼくの手で物語を書いて彼の無念を晴らそう…という活動を秀次と彼の一族郎党を祀る瑞泉寺の住職でイラストレーターの中川学さんとはじめようと話を進めている。

また、鎌倉の観光資源づくりの一環で、源頼朝のブランディングに取り掛かろうというプロジェクトも水泳の背泳ぎでいうところのバサロ状態であるが、進みつつある。どうも、この数年は、これまで誤解されてきた歴史上の人物の大逆転劇が続くような気がする。まさに、historyのrestory化が起こりそうなのである。その担い手のひとりとして活動できたなら本望である。

(0018)

 

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