ワザ。ワザ…道化者

道化師ピエロの目には、いつも涙が描かれる。笑いは、常に哀しみと背中合わせにある。

太宰治の著書『人間失格』の第二の手記に、旧制中学校時代に主人公が鉄棒で失敗をして、クラスメイトから大爆笑をもらうシーンが描かれている。道化を演じることを目的に主人公は、計画的に失敗し、皆の笑いを誘うのだが、ただ一人、竹一という体育の授業を休んで眺めていた少年が、その計画的失敗を見破り「ワザ」。ワザ」と低く小さな声で指摘した。という一節なのだが、ぼく自身、このエピソードにすごく共感するところがある。

ぼくが小学校3年生の一学期の最初の授業の時だ。2年生の夏休み後に転校してきたぼくは、2学期、3学期と幾人かの友だちをつくって、なんとか新しい学校になじんでいた。でも、心のどこかで淋しさを感じていた。その頃は、明確に感じていたわけではない。今となって思うに、そういうことだったのだと思う。そこで、新しい学年になった最初の授業で大芝居をうった。先生が教壇に立った後、生徒たちは起立して礼をする。そして、着席するのだが、ぼくは自分の足でイスを払い、わざとこけて尻もちをついたのだ。とたんに、教室は笑いに包まれた。その日から、ぼくはクラスの人気者になることができた。幸いなことに、このクラスには竹一のような人物がいなかったのである。

♪誰か指切りしようよ、僕と指切りしようよ
軽い嘘でもいいから、今日は一日、はりつけた気持ちでいたい
小指が僕にからんで動きがとれなくなれば
みんな笑ってくれるし、僕もそんなに悪い気はしないはずだよ

これは、井上陽水の『氷の世界』の一節。もう30年ほど前だったか、新潮文庫の広告で「ぼくも太宰でした」というキャッチとともに陽水が登場していたのを憶えている。この曲を聴く度に、小学校3年生のあの出来事を思い出す。

子どもは子どもで、幼いながらもいろいろ考えているんだな、と思う。道化に頼って友だちを増やそうとしたり…。それは、もう涙ぐましい努力を重ねている。そんな姿を見て、おとなたちは「小賢しい」と非難したりする。果たして、どうなのだろう。子どもだって必死なのだ。笑われてもいい、とにかくみんなと仲良くしたい。ただただそう想って演技をしたりする。それを非難で一蹴してもいいものだろうか。いや、ホメることはないものの、非難することはできないと思う。

小学校3年生で、「ワザ。ワザ」を仕出かしてしまったぼくは、もしかしたら「人間失格」なのかもしれない。たとえ失格しようとも、道化者になろうとも、しっかり最後まで生き抜いてみたいと思う。決して入水などしないように。

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