平行線という関係

平行線は、決して交わらない。でも、ずっと寄り添って進んでいく。

 

「話し合いは、平行線に終わりました…」
政治がらみ、あるいは経済交渉などについての報道で、よく耳にする言葉だ。お互いに歩み寄ることがなく、議論がかみ合わなかったときに使われる表現だ。お互いの間に大きな溝がある、ということだ。

平行線は、決して交わることがない。だから、関係性が生じない。誰もが、そう考えているのではないだろうか。

でも…と、ぼくは考える。

交差する線は、確かに、どんどん接近していって一度は交わる。しかし、その後は、どんどん離れていってしまい、二度と出会うことはない。ま、これは、関係性の線が直行した場合にだけ当てはまることなのではあるが。でも、なんとなくではあるが、人間関係ってけっこう直行しているような気がする。というのも、人はあまり自分を振り返ったりしないことが多いものだと思うからだ。曲線を描いて生きていくような柔軟な人間は少ないと思う。

多くの人は、平行線の間隔を広めにイメージするのではないだろうか。でも、その先入観を捨てると、いろんなことが分かってくる。

ピッタリと引っついていたとしたら、どうだろう。二つの線は、いつまでも寄り添ったまま進んでいく。決して離れることはない。そう考えてみると、平行線の関係も、けっこういいものに思えてくる。平行線をトレースできるような関係を結べる人を見つけたいな、と思えてくる。

ただ、永久不滅でぴったり寄り添う関係も、実はしんどいのかな、と思う。四六時中いっしょだと息が詰まることもあるだろう。見たくもないことを見なければならないこともあるだろう。

そこで、お互いにどんな向き合い方をするのか、が問題になると思う。ぼくは、交差線・平行線の関係とは別の軸で、向き合う関係と並ぶ関係と背中合わせの関係という3つの関係があると考えている。向き合う関係は、お互いへの関心を第一にしている関係である。並ぶ関係は、お互いが同じ目的を持って進んでいく関係。そして、背中合わせの関係は、お互いの姿が見えなくても、感じあえる関係だ。視覚ではなく触覚、つまり温もりでお互いを受け止められる仲である。

平行線の関係であっても、これら3つの関係を組み合わせていけば、いつまでもその関係を続けられるのではないか、と思うのだがいかがだろう。例えば、夫婦関係。新婚の頃は、お互いに見つめあって、その存在を確かめながら生きていく。そして、歳月を重ねながら、二人の目的を持ち、それをめざして並んで進んでいく。まだまだ、お互いを視覚的に確かめあうことが必要かもしれないが。そして、さらに星霜を重ねると、いちいち目で確かめなくてもお互いの存在が認識できるようになってくる。背中で相手の体温を感じるだけで十分になってくる。

平行線の関係も背中合わせの関係も「枯れた関係」だな、と思う。時間を経ることで醸成される、発酵的な関係だと思うのだ。きっと、こういう関係を結ぶことができたなら、顔には味のあるシワが刻まれていくんだろうな、と思う。そんな関係に囲まれて時間を過ごしていきたいものである。

(0023)

 

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