時代が変わろうとしている。

ほんとうの責任者は、表に出て謝ることはない。忖度を受けている限り、忖度した側の責任だと逃げるものだ。

オリンピック4連覇の選手に対するパワハラの告発から名伯楽と崇められていた総監督の情けない解任にまで発展した女子アマチュアレスリング。違反タックルから、それを指示した監督とコーチの解任、そして、理事長への責任追及にまで発展した日大アメフト部。不正判定や用具の独占販売などで理事長はじめ協会役員が300人以上の協会員から告発された日本アマチュアボクシング協会。

今年に入って、立て続けにアマチュアスポーツ界の不正が世にさらされている。いずれのケースでも共通しているのは、「上層部がその権力を傘に、好き放題していた…」ということだろう。動かない水は腐る、というが、まったく、この言葉を地でいった形だ。告発した側は、満を持して、あるいは覚悟を決めて反旗を翻したのだと思う。絶大な権力に対して立ち向かう姿勢には感服する。

理事長とか監督というポジションには、絶対的な権力が集まりやすい。その権力に対して、下々は「忖度」する。その理由は、自分の立場を守るため。引き上げてもらう、とか、不利な立場に追いやられないように、とか、恫喝されないようにする、とか。権力者が指示していないことまでも、気を配って率先して間違いとなる行動を取ってしまう。これは、アマチュアスポーツ界に限ったことではなく、さまざまな組織で起こっていることだ。

まだまだ、アマチュアスポーツ界には「根性論」がはびこっていると聞く。いや、もしかすると、業界を仕切っている立場の人たちの世代的特性なのかもしれない。「それくらい我慢して当然だ。我慢できないのは根性が足りないからだ」と一蹴する傾向が見て取れる。そんな風潮が、学校のエアコン設置率の伸長を妨げ、この酷暑の中、熱中症の子どもたちの量産に貢献してしまっている。ここまで書くと、ちょっと書き過ぎだろうか。

ロンドン五輪の金メダリストで現在プロに転向して活躍しているボクサーの村田選手が自身のFacebookで一連の出来事について書いていた。「そろそろ古い体質を改める時期ではないか」と。

確かに、今、時代は動いている。ゴロゴロと巨石が転がるように。まだまだ、ゆっくりとした動きだが、すぐに加速するだろう。あれよあれよ、といっている間に世間は一変してしまうのではないか。2年後には、隣のデスクで企画書を作成しているのはロボット…なんてことがあっても不思議ではない。もしかしたら、うちのボスはスパコンです…なんてことがあるかもしれない。

一連のアマチュアスポーツ界の出来事は、変化の前哨戦に過ぎないのかもしれない。他人事と考えていてはいけない。明日は、我が身かもしれない。いい意味でも悪い意味でも、「下剋上」の時代がやってきているのだ。あるいは「窮鼠、猫を噛む」かもしれない。トップではなくても、部下を持つ人ならば、我が身のこととして一連の出来事を見て、内省すべきではないだろうか。そして、来るべき時代の変化に備えるべきだろう。とにかく、理にそぐわないことは慎むべきなのである。

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南方からの物体X

奴らは、静かにかつ確かに広がっていく…気がついた時には、手遅れ。侵略されている。

かつて、奴らは、九州にだけ生息していた。ひとつの王国を築いていたのだ。繁殖能力に優れていたが、移動能力はそれほど高くはなかった。それが幸いして、王国の領土はさして拡大することがなかった。たまに、海を越えて冒険した無謀な奴もいたが、新天地で子孫を根づかせることはなかった。繁殖能力に優れているといっても一匹ではなすすべがなかったのだ。こんな状態が何万年も続いてきた。

昭和12(1937)年5月11日。大阪のまちは沸いた。道幅44m、道長4㎞のこれまでにない都市街路「御堂筋」が着工より11年の歳月を経て、ついに開通したのだ。道幅6mの狭い道が7倍に拡幅されたのである。100年先を見据えて整備された街路の下には地下鉄が走った。今では考えられない巨大プロジェクトであった。そして、景観を整えるため、北端の梅田から淀屋橋まではプラタナス、それ以南の難波までにはイチョウの並木が植樹された。今も、秋になると錦に燃える美しい景観を見せ、大阪の名物のひとつになっている。

並木の樹木は定期的に入れ替えられる。一説によると、1980年代に九州から移植されたものがあったという。樹木は根に土をつけたままの状態で九州から大阪へと運ばれた。樹木は新しい土壌環境にすぐになじむことができないので枯れてしまう。だから、元の土壌環境を保ったまま植樹するのである。奴らは、この好機を見逃さなかった。根に卵と幼虫を仕込んだのだ。大阪に着いた卵と幼虫は、九州の土に守られて、数年感間、地下に潜伏した。そして数年後、成虫が現われ、まずは個々に独唱をはじめた。歳月を重ねる中、都市のヒートアイランド現象も追い風となり、温暖な気候を好む奴らは、その繁殖能力の高さを武器に個体数を確実に爆発的に増殖させていった。今や、大阪では奴らの合唱ばかりが耳に入ってくる。奴らの合唱は、体感温度を数度上げているのではないだろうか。

今世紀に入って、東京都がある植樹を行った。その際に、御堂筋の並木の一部を友好の印に使ったという。この好機も奴らは見逃さなかった。都内で聞かれる奴らの合唱は、制覇の雄叫びなのかもしれない。だから、我々の耳に感じられるのは不快感なのだ。大阪も落ちた。東京も落ちた。横浜も壊滅に向かっているという。奴らは、このような大都市への戦略とともに地方都市への進出も進めている。我が家は京都府の中西部に位置する亀岡市にあるのだが、数年前から自宅周辺で奴らの声を聞くようになった。仕事場が大阪にあるので、「ついにやってきたか…」と思った。ここまできたら、ただただ奴らの侵略を静観しているほかない。トム・クルーズが主演した映画『宇宙戦争』のようなものだ。あんな結末は期待できないだろうけれど。

南方からの物体X。クマゼミたちの侵略は、これからも確実に進んでいくだろう。

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すべては未来からのお告げ

先日、世話になっている方から、興味深い話をうかがった。その方は、先般、強烈な通風を患い、寝ても起きても耐え難い激痛に見舞われたそうだ。部位は足の甲。ここが痛いと立つことも座ることもできず、ひたすら痛みを我慢するほかないのだそうだ。病院に行くにも歩くことができないので、往復でタクシーを使い、さんざん散財してしまったと嘆かれていた。たまたま良いお医者さんを紹介してもらったので、比較的早くに激痛は退散したらしいのだが、また数年先に激痛がやってくると思うとなんとも怖ろしいという。

激痛に見舞われていた2か月ほどの間に、いろんなことを考えて、ひとつの悟りが開けた、と笑われた。その話が、ぼくにとって、とても興味深かった。どういう話かというと以下の通りだ。

今まで、病気というものは、過去にしてきたことの結果で患うものだと考えていた。でも、今回、通風を患って激痛に耐えている中、ふと思った。もしかしたら、病気はか“未来からのお告げ”なのではないか、と。先々に起こることを見越して、今、やっておかなければならないこと、あるいは、今、してはならないこと…これらを遂行するために病気になっているのではないだろうか。もし、ここで病気にならなかったとしたら、ムリして活動して、かえって今、病気になるより悪い状態を招いていたかもしれない。あるいは、病気になることで、本来ならその時にしないであろうことをして、その結果、より未来が輝くかもしれない。病気って、そういう未来に向けて授かるものなんじゃないだろうか…。

この話を聴いて、まったく、究極のポジティブシンキングだな、と思った。たいていの人が、病気を患った時に“あの時、あんなことをしなかったら、こんな病気にならずに済んだのに…”とか、“日頃の行いの悪さが、この病気の原因なんだ”とか、過去ばかりを振り返って後悔しきりになる。でも、過去は決して変えることはできない。変えられるのは、未来だけだ。なら、病気になったとしても、この事態をどう未来に活かすか、を考えた方が建設的というものだ。

過去をほじくり返して反省をすることは大切だと思う。そこで、きちんと行動の分析を行い、具体的な改善策を講じるならば、だ。でも、ただただ“あんなことしなければよかった”とか後悔ばかりするのでは、いっそのこと過去なんて忘れた方がいいと思う。後悔することでは、過去を現在や未来につなぐことはできない。

ぼくたちは、過去という大地に立って、明日に向かって今を生きている。後悔ばかりしていると、大地はぬかるみになってしまって、足を取られて先に進めなくなる。ぬかるみにするか、固まった土にするのか…それは、そこに立つ本人の意識次第なのではないだろうか。

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見識と験識

見ざる 聞かざる 言わざる 見聞言を超えて体得するのが「験識」

百聞は一見に如かず…この一文は、誰もが一度は耳にし、口にしたことがあるだろう。他人から百回聞いたよりも自分で一度でも見た方が理解が深まるということを説いた俚諺だ。

この俚諺は、聴覚情報よりも視覚情報の方が多くの情報量を持っているということを示していると考えられる。確かに、人が獲得する情報のうち、視覚からによるものが90%にものぼるという説もある。人は、“目で見たこと”を最優先しているのである。「人は見た目が9割」というのも納得である。

でも、考えてみると、この視覚偏重が、現代人のイマジネーションを狭小化しているのではないか、と考えている。

視覚は、ある意味において「結果」である。一方、聴覚は「きっかけ」だとは言えないだろうか。視覚は動かしがたい事実であるのに対し、聴覚はそれを聞いて何かしらのことを想像するヒントではないかと思うのだ。人は、耳から入ってきた情報を基に、さまざまな想像、時には妄想を頭の中で繰り広げる生物なのだ。

例えば、虫の声や鳥の声。西欧人にとっては、ただのやかましい雑音にしか感じられないのだが、日本人にとっては、哀愁を感じるオノマトペだったり、ある種の意味を持った言葉に聴こえる。日本文化というものは、視覚だけでなく聴覚にも重きを置いた文化なのだと思う。これは誇るべきおで、将来にわたって大切に継承すべきことだと思う。

ところで、“百聞は一見に如かず”から連想する言葉に“見識”がある。見ることで得た気づき…というような位置づけだろうか。この“見る”が曲者だと考えている。遠近に関わらず、ただ傍目に見ているだけでは、その事象についての経験値は得られないとぼくは考えている。見ているだけではなく、触れたり、嗅いだり、五感での経験を果たさないと、真実というか本質は体得できないのではないか、と考えてきた。この五感での知覚をぼくは“験識”と勝手ながら呼んでいる。平たく表現すれば“経験知”といってもいいのだろう。

いわゆる“見識”なら、テレビやネットでいくらでも得ることができる。でも、“験識”は、実際に身体感覚でふれあわないと得ることはできない。ぼくは、この感覚こそを大切にしたいと考えている。

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アンケート

昨日の夕方、携帯が鳴った。丁度、ある人に電話して返事待ちだったので、その返信かと思ったのだが、着信番号を見ると、見たことのないフリーダイヤルのナンバーだった。少し訝しかったのだが、「ま、いっか」と出てみた。時にぼくは勇気のある人間なのだ。

出たとたんに、電子音バレバレの女性の声が耳に入ってきた。「電子音声で失礼します。現在、無作為で携帯電話に発信して、内閣支持率の調査を行っています…ご協力いただくと、100円を被災地への支援金に回すことができます」と。最後の一言がトリガーになって、受けることにした。アンケートに答えるだけで、被災地支援ができるなら、と。時にぼくは社会貢献のことも考える人間なのだ。

アンケートの返答は、送られてきたショートメールにチェックを入れて送り返すという形式だった。きっと、これが数日のうちに新聞かテレビかの全国世論調査として発表されるのだろう。なんとなく時代の当事者になったような気分だっ自分の意見が世論として世間に出回っている。ちょっとうれしいような気分だった。

学生時代、読売新聞の世論調査のバイトをしたことがある。あれは確か国政選挙がある直前だったと思う。担当者から渡されたリストに基づいて、そこに記載されている家を訪問して回答をもらう形式だった。35年近く前のことだから、ほとんどの家で玄関払いされた。「そんな政治的なこと、なんであんたに話さなあかんの!」と、たいていの家で罵声を浴びた。世論調査って怖いな、という印象が残った。

こんなトラウマもあって、今回のアンケートを引き受けたのだと思う。相手は電子音声だけれども、なんか断ると可哀そうな気がして。まったく馬鹿げているかもしれないな、とも思うが、それが、自分らしさなのかもしれない。アンケートに答えたからといって、別に命を取られるわけじゃないから…。

〇〇だからといって、別に命を取られるわけじゃないから…。この考えが、ぼくの根底にあるようだ。この考えに沿えば、時には大胆に動くことができる。でも、逆に、安請け合いというか、安易な行動につながることもある。収集のつかない事態を招くこともある。少し気をつけないといけないな、と最近つくづく思う。もう少し、自分の行動に結界を張ろうじゃないか、と。

アンケートの話題に話を戻そう。メディアを見ている限りでは、秋の総裁選挙は、安倍首相の独壇場の様相だ。あれほど、けったいな行動や答弁を重ねながら一強で居られるのか…まったく理解に苦しむのだが、政治の世界というものは、そういう世界なのかもしれない。いっそ、小泉進次郎氏が出馬すれば、と思うが、政界では、そういったサプライズはないのだろう。予定調和の世界だなぁ。

もうそろそろ、議会制民主主義というOSが限界を迎えているように思える。昨日の『西郷どん』で、勝海舟が西郷どんに言ったセリフが頭に残っている。「もう幕府を見限ってもいいんじゃないか」。今、政治的環境というか風潮は、江戸時代末期にとても似ているんじゃないだろうか。ただ、いったい誰が、西郷どんや大久保利通、桂小五郎、坂本龍馬になるか…だ。

維新の時代が再現されればいいが、この政治的殺伐感は、応仁の頃にも似ているかもしれない。都を戦火で焼き尽くし、戦国時代という乱れた世を生み出す原因となった応仁の乱。そんな状態が起こらないように祈るばかりである。

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鏡の向こう側

鏡に映っている自分は、実在する自分に対して、どんな意識を持っているんだろう?

松岡正剛氏が校長を務める「ESIS編集学校」。これは、編集術をネットによるeラーニングシステムを使って教えるという学校だ。基本編の「守」と応用編の「破」というコースがあって、両方を修了すると、生徒から教師に昇格するための「花伝所」というコースに進むことができる。せっかく編集術を学ぶのだから、教えられる立場だけでなく、教える立場も軽信しておこう、ということで参加した。生徒と教師の両方を体験することで、すごく立体的に編集を体得できたと、満足し、感謝している。

その「花伝所」の東京実習での話をしてみたい。3回ほど、東京に出向いて、松岡校長と講師陣から師範代(eラーニング教師)の研修を受けるのだが、最終回にある講師から質問を受けた。「みなさんが花伝所に来た目的は何ですか?」と。多くの受講者が、「編集術を教えることで、もっと編集を深く体得できる…」みたいな発言をしていた。その時、ぼくは、「鏡の向こう側に何があるのか知りたかった」と答えた。

花伝所を修了して、「守」と「離」の師範代を経験したのだが、ずっと最終回での発言が頭の片隅に残っていた。「鏡の向こう側」が見えてこないのだ。

鏡を前にすると、鏡面には自分自身が映っている。左右反転しているが、明らかに自分自身の顔がそこにある。それを見ているのは、まさしく自分自身であり、見ていると意識しているのもこちら側の自分自身である。でも、考えてみると、鏡に映っている者も自分自身である。その人物は意識というものを持っていないのだろうか。鏡に映った自分が、実在する自分に対してなんらかの意識を持つことはないのだろうか。それを想像…いや、認識することはできないのだろうか。そういう考えが基本にあって、先の発言をした。実在の自分と鏡の中にいる自分をつなぐことはできないのか…そんな思いが「鏡の向こう側」という発想をうみだした生み出したのだ。まるで、ヒーロー動画『ミラーマン』の世界であるが…。

それから数年経って、ある能楽師からこんな話を聴いた。「舞台に立っている時は、もう一人の自分が客席にいて、とても冷静に舞台で舞っている自分を見つめている。彼の意識が舞台にいる自分の中に入ってきて、舞に指示を与えてくれている」と。この話を聴いて、「!」と思った。「鏡の向こう側」とは、こういうことではないのか!と。鏡の中にいる自分を意識するということは、自分からあたかも幽体離脱したような自分の意識で、自分を見つめることではないか。それは、損得や利害、自分の立場、他人との関係…さまざまな雑念ともいうべきフィルターをすべて捨て去って、なにか大いなる「理」とでもいうべき尺度で、率直に自分を見つめること。言葉にするのは容易だが、実際に行うことはとても難しい。

最近、過酷な状況に陥っている。ついつい自分を卑下したり、否定したりしてしまっている。そんな中、自分とは何か…ということをすごく第三者的に見つめる術があることを知ることにつながっているかもしれない…と気づいた。「我思う故に我あり」。デカルトはすべてを否定して、この命題を発見したのであるが、我を思っているのは、実は鏡の向こう側にいるであろう自分なのかもしれない。そこまでは、なんとなく理解したのであるが、まだ、鏡の向こう側にいる自分とはつながっていない。そうなることが、つまり「悟りをひらく」ということなのだろうが、まだまだその域には達していない。まさに、ぼくのライフワークなのだと考えている。

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あいこ

グーはチョキに勝つが、チョキはパーに勝つ、パーはグーに勝つ。誰かに勝っても、誰かに巻ける。じゃんけんは、絶対勝者がいない。

お茶屋遊びのひとつに「とらとら」というのがあって、二人が対になって勝負する遊びである。対戦者は、「和藤内」「お婆」「虎」のいずれかになって、みんなから「とら、と~ら、と~ら、とら」と囃したてられながら、隠れている衝立からでてくる…そんな遊びだ。別名「虎拳」とも呼ばれている。

「和藤内」とは近松の『国姓爺合戦』の主人公。日本(和)でもなく唐(藤)でもない(内)というしゃれから生まれた名前だ。豪傑の人だったが、ただ唯一、自分の老母には頭が上がらなかったという。だから、「和藤内」は「お婆」には勝てない。その「お婆」は、「虎」に食べられてしまう。だから「お婆」は「虎」には勝てない。「虎」は、豪傑の「和藤内」に撃たれてしまう。だから、「虎」は「和藤内」には勝てない。

…というふうに、それぞれに勝てる相手と負ける相手がいて、誰が一番強いかを決めることができない。いわば、人間じゃんけんのような遊びである。そこには、絶対勝者というものが存在しない。それが、じゃんけんの魅力なのではないか、とぼくは考えている。

勝つときもあれば、負けるときもある。あいこになるときもある。これって、「人生」だなぁ、と思う。特に、あいこに人生の機微を感じるのだけれど…いかがだろう。

たくさんの人が集まって、じゃんけんをすると、あいこばかりが続いて、なかなか勝負がつかない、というか、勝負にならないことがある。人生って、そんなものなのではないだろうか?本人は、十分に勝負している気でいるけれども、実際は、勝負になっていないことって多いのではないだろうか。ほんとうは、勝負しなくたっていいのに、何か戦っている感がないと満足できないので、かたちだけでも勝負しているフリをしている。考えてみると、そんなシーンっていっぱいあるように感じる。ムリして、勝負することもあるまいに、と。

そんな勝負に対する脅迫観念が、「競争社会」をつくり出してはいないか。勝ち負けに価値を見出すような世情をつくり出してはいないか。今は、「グー」に勝ち目があるよな…なんて、考えがはびこっていないか。多様性の時代だ。「グー」でも「チョキ」でも「パー」でもいいではないか。自分の好きな手を出せばいいのだ。勝てるかどうかは、時の運。好きな手で負けたなら、本望ではないか。絶対勝者の手なんて、ないのだから。

 

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