老頭児(らおとう)

敬愛するLed Zeppelinのアルバムのジャケット。名曲『天国への階段』が収められたⅣの表紙には柴を背負った老人が象徴的に配されていた。

 

「物静かで、急に怒ったりしやはらへんし、
世の中のことをすべて知り抜いているように見えるし、
あんなすごい人間いたはれへんやろ」

お世話になっているチチ松村さんは、
幼い頃から“老人”に憧れていたそうだ。
中学生の頃には、老人ファッションで
身を包んでいたという。
完成されているような印象がいいのだという。

「ロートル」という半ば死語になった言葉がある。
調べてみると、昭和40年代によく使われていたそうだ。
50年代に入っても若干使う人がいたらしい。
ぼくは子どもの頃、よく耳にした。
確かに調べたとおりだ。

一番記憶に残っているのは
水島新司氏の名作『野球狂の詩』でのことだ。
知られているのは、プロ野球初の女子選手である
水原勇気(サウスポー投手だった)だと思うが、
登場人物のひとりに50代の老投手・岩田鉄五郎がいた。
彼はいつもスタンドのファンから
「ロートルはヤメちまえ!」と罵声をあびていた。
ヨレヨレのピッチングしかできないからだ。
でも、野球に対する情熱は若者に決して負けはしなかった。
その気力だけで、時には勝ち投手になることもあった。

彼を通して、ぼくは
「ロートル」という言葉を知ったのだと記憶している。

今、自分がロートルの世代に足を踏み入れようとしている。
広告業界は、やはり若いパワーやアイデアが重んじられる。
おじさんは、お呼びではないのだ。
同年代の知人たちも、自分の年齢を嘆いている。
若さがあれば、もっといい仕事が来るのに…と。
なにか違う…とぼくは思う。

世阿弥は、その秘伝書『風姿花伝』で
若い花と枯れた花の話を書いている。
齢を重ねないと演じられない花があるというのだ。
若い花、老いた花、それぞれに美しいのだと思う。
オリンピックは素晴らしいけれど、
あれは、若者のためのスポーツの祭典である。
その点、マスターズは年齢を超えて楽しめる。
もっと多くの人がマスターズに目を向けても
いいのではないか、と切に思う。

広告業界でも同じではないだろうか。
年輪を重ねてきたからこそ、醸し出すことができる
味わいあるアイデアにもっと目を向けてもいいのではないか。
おじさんバンドががんばっているように
おじさんクリエイターも活躍できるのではないか。

ということで、近々、
『老頭児(らおとう)』という制作者軍団を
つくってみたいと妄想している。
50代以上の制作者だけのチームである。
もし、興味のある人がいたら連絡をください。
いっしょに、世間をビビらそう!

(0026)

 

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