裁判沙汰

さて、桜吹雪の金さんなら、さるとかにのもめ事をどう裁いてくれるのだろう?

 

それは、裁判員制度が云々されていた頃だから、もう10年も前のことだったと記憶している。さるかに合戦がらみの話を裁判仕立てで書けないものか…と考えた。親がにが殺害された直後に子がにたちが裁判を起こした、という設定で、書こうと思ったのだ。被告人は、さる。原告は子がにたちである。原告側の証言者として、ハチや臼、フン、つっかえ棒、イガグリが登場する予定だった。これを書くには、一度、法廷を見学する必要があると考え、法廷見学を趣味にしている人にあれこれ相談したりしていたが、具体的に動くことなく10年もの歳月が過ぎていった。

数日前に、やられたなぁ…と思わせることがあった。新聞の書籍広告欄で、『昔話法廷』なる本が出ていることを知ったのだ。調べてみると2015年8月15日にEテレの番組『昔話法廷・さるかに合戦裁判』として放映されたものが書籍化されているらしい。ちなみに『昔話法廷』は、2015年8月11日から2018年8月14日まで年に2~3回のペースで計10話が放映されている人気番組なのだそうだ。これまで、先のさるかに合戦をはじめ、三匹のこぶたやカチカチ山、ブレーメンの音楽隊など、世の東西を問わず誰もが知っている昔話を裁判仕立てで取り上げてきたようだ。

10年前といえば、日本もいよいよ法廷で争うのが通常になる国家になりそう…という雰囲気が立ちはじめた頃だった。とにかく問題が起これば、法廷に持ち込むことが多くなってきていたのだ。それまでは、とかく穏便にすませようということで、法廷に持ち込むのはもめた時の最終手段として捉えられていたように思う。それが、まずは裁判所に持ち込んで…という風潮が生まれつつあったのだ。なんとなく、ぼくは、それを哀しく感じていた。第三者を交えて、話をまとめるということは大切なことだと思うが、その第三者が裁判所なのか?と思った。もう少し、人肌の体温を感じられる対応はないのか、と考えたのだ。

確かに、裁判所に持ち込まない場合、示談屋などのブラックな人たちが暗躍する機会をつくってしまうことが多々あったと思う。とかく闇の世界に頼まなくてはならないような問題もたくさんあっただろうから。それを表沙汰にしないためにも、件の輩は、必要悪として存在していたのだと思う。裁判に持ち込めば、出来事は公にされるかもしれないが、公正さは保てると思われる。そういう意味では、法廷主義は意味があることだといえるだろう。

でも、それはそれで、法に対して公正かもしれないが、どこか人間の機微というか凸凹に十分対応できているのかどうか、ぼくは疑問を持っている。やはり、人間がつくったものだから、法とて完璧であるはずがない。どこかに誤りや矛盾を持っていると思う。それらを機敏に変更して、時代に即したものにしていかなければ法は機能していかないのだけれど、立法の方々の様子を見ていると、自分たちが法をつくっているという自覚がイマイチ感じられない。世間を見ていないといってもいいのかもしれない。スーパーでキャベツ1玉がいくらで売られているかを知っている政治家がどれだけいることか…。そんな状況で法の適正度を推し量るなんてことができるか、とても疑問だ。だいたい明治初期に定められた法がいまだに履行されているのだから驚くしかない。100年も経って、旧式化していないものなど想像できないではないか。

で、昔話法廷に話を戻す。先を越されたので、とても悔しい。というか、それくらいのアイデアは誰でも思いつくということなのだろう。でも、形にしたいという希望は捨ててはいない。ぜひ、近いうちに、大岡越前守か遠山左衛門尉にさるかに合戦を裁いていただこう、と考えている。

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