手紙の効用

手紙を出すということは、現代人に最も欠如している「イマジネーション」を育てることにつながる。

 

最近、手紙を書いたことがあるだろうか? はたまた、葉書に文をしたためたことはあるだろうか? ほとんどの方が「いいえ」とお答えになるのではないか、と思う。実際、SNSの浸透で、文章を書くといえばPCあるいはタブレット、スマホの上で…ということがほとんどではないだろうか。時候のあいさつである年賀状や暑中見舞いもメールやLINEで、というのがほとんどだと聞く。日本郵政もタイヘンだな。日本郵政の統計によると年賀状の発行枚数は1949年の初発行時の1億8千枚以来伸び続けて、ピークの2003年には44億8千枚となった。しかし、その後は減少傾向に移り、一昨年2017年には29億7千枚弱まで落ち込んだ。どうも、国民の筆離れがすすんでいるようだ。日本郵政もたまらないことだろう。

SNSでのコミュニケーションは、字が下手だとか、いちいち道具を使わなくても簡単に書くことができるとか、すぐに相手に届くとかいったメリットがたくさんある。みんなが、こちらに走るのも納得できる。とにかく便利なのだ。ただ、この便利さが、逆にあやういようにも感じる。いろんな書体が選べるということはあるものの、やはり画面上の文字は画一的である。なかなか伝えたい想いのニュアンスを伝えきることはできない。それをなんとかするために、絵文字やスタンプなどが開発され、発展しているのだけれども、やはり手書きの多彩・多才さに比べたら、ぼくには見劣りがする。ないものねだりかもしれないが…。

それと最大のデメリットは、人間から「待つ喜び」というものを奪ったことではないだろうか。手紙や葉書は、いつ相手に着くのか確約がない。たいてい2~3日で着くのだろうが、書留で送らない限り着いたかどうかも分からない。そして、それが読まれたかどうか、は不明のままだ。LINEなどは既読マークがあるので、確認できるのだが、逆に「既読スルー」なんてことが発覚して、相手とのいさかいを招いたりすることもある。そして、手紙・葉書の一番の特性は、いつ返事が来るか、まったく分からないということである。比べることではないかもしれないが、平安王朝の時代には、殿方に出した手紙の返事を60年間も待っていた姫君がいたという。これは、まったくおとぎ話のようなことであるが、とにかく手紙・葉書文化は、「待つことを是とした文化」だったのである。

今や、少なくてもその日のうちに返信しないと礼儀知らずとののしられる。時には、既読スルーして大ゲンカになったり、人を殺めるような事態に陥ることさえあるようだ。現代人は、ずい分とせっかちになってしまったものである。それもこれもやはりネット社会の功罪という他ないのではなかろうか。

このような性急を請求するSNSを根絶しようとは思わない。便利なところもあるから、やはり使いようだと思う。ただ、SNSだけのコミュニケーションにどっぷりと浸っいていいものか、とも感じている。暮らしのどこかに、手紙・葉書のスタイルを残しておくことはできないか、と。いつ届くか分からない返事のことをあれこれ想像するというのは、楽しいことのはずだ。郷ひろみも楽曲『よろしく哀愁』で歌っていたではないか。♪会えない時間が愛育てるのさ。目をつぶれば君がいる…と。「待つ」ということは「育てる」ということなのだ。

この秋から、とある高校で「手紙の書き方講座」を担当させてもらうという話が出ている。高校生くらいから手紙に親しんでおくと、きっと一生ものになるのではないか、と期待している。ほんの小さな水輪ではあるが、これが将来大きな輪になって広がっていくことを願っている。徹底的に尽力したいと思っている。

(0017)

 

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