個性について

ぜんぶ「ピータン」。でも「ピータン」一匹一匹はどれも違う。これが「個性」というものだろう。

若い人たちに「今、一番したいことはなに?」と尋ねたら、ほとんどの人たちが「個性的に生きたい」と答えるそうだ。自分らしく生きていきたい人がたくさんいるということは、逆にいうと自分らしく生きられていないと感じてる人が多いといえるのかもしれない。多くの人が自分を見失っているのだろうか…。

では、「個性」ってなになのだろうか?小学館のデジタル大辞泉によると“個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。個人性。パーソナリティー。”とある。つまりは、個人の特性のことをいうのだ。ということは、生まれてきた人なら誰でももれなく個性はついてくるはずである。ムリして他人に合わそうなどとしない限り、ひとり一人に「個性」があるはずなのだ。

でも、哀しいかな、人は自分を他人と比べ“個性がない”と嘆いてしまう。“もっと、もっと輝けるはずだ。それには、もっと個性を磨かねば…”と自分を卑下してしまう傾向にある。個性は決して「能力」や「才能」のことではない。いいところ、悪いところ、すべて含めた凸凹のことを「個性」と呼ぶとぼくは考えている。誰かと自分を比べて、それぞれの特長を分析し、自分磨きに活かすなら「比較」は有用だと思うが、自分の劣っているところを見つけて卑下したり、相手の劣っているところをほじくり出して慢心したりするのは、違うと思う。

かつて、映画『千の風になって』を撮った金秀吉監督に教えてもらった言葉がある。「分析はしてもいい。でも、評価はするべからず」。どんな事象も比較しなければ本質を見つけることはできない。それは、「長いか短いか」「太いか細いか」といった客観的な比較にするべきだ。「長いから優っている」「太いから劣っている」という評価は論外ではないだろうか。これらの「長い」とか「太い」とかいったことが個性なのだと思う。卑下することなく、慢心することなく、等身大の事実として受け入れればいい。自分で変えたいと思うなら変えればいい。決して他人と比べてどうこうしなくてもいいと思っている。

どうせなら、「個性」よりも「孤性」を大事にしたいと思う。「孤性」という言葉は辞書には載っていない。ぼくが勝手につくった言葉だからだ。「孤」には唯一無二という意が込められている。オンリーワンということだ。だから周囲には誰もいない。たった一人きりだ。この孤独感が「孤性」を育むのではないか、と考えている。イチローがあのようなポジションを保っているのは、常に孤独だからだと思う。常に、自分との闘いに向き合っているからだと。ぼくは「孤」という文字に、自分自身との闘いの気を感じるのだ。だから「孤性」という言葉を大切にしたいと切に思う。

若い人たちに言いたい。「生きている限り、“個性”はあるんだよ。あなたがあなたでいる限り“個性”は発揮されている。だから、もっと自分を信じて、もっと自分を大切にして、堂々と生きてください」。唯我独尊で、いいんだと思う。

(0019)

 

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