すべては未来からのお告げ

先日、世話になっている方から、興味深い話をうかがった。その方は、先般、強烈な通風を患い、寝ても起きても耐え難い激痛に見舞われたそうだ。部位は足の甲。ここが痛いと立つことも座ることもできず、ひたすら痛みを我慢するほかないのだそうだ。病院に行くにも歩くことができないので、往復でタクシーを使い、さんざん散財してしまったと嘆かれていた。たまたま良いお医者さんを紹介してもらったので、比較的早くに激痛は退散したらしいのだが、また数年先に激痛がやってくると思うとなんとも怖ろしいという。

激痛に見舞われていた2か月ほどの間に、いろんなことを考えて、ひとつの悟りが開けた、と笑われた。その話が、ぼくにとって、とても興味深かった。どういう話かというと以下の通りだ。

今まで、病気というものは、過去にしてきたことの結果で患うものだと考えていた。でも、今回、通風を患って激痛に耐えている中、ふと思った。もしかしたら、病気はか“未来からのお告げ”なのではないか、と。先々に起こることを見越して、今、やっておかなければならないこと、あるいは、今、してはならないこと…これらを遂行するために病気になっているのではないだろうか。もし、ここで病気にならなかったとしたら、ムリして活動して、かえって今、病気になるより悪い状態を招いていたかもしれない。あるいは、病気になることで、本来ならその時にしないであろうことをして、その結果、より未来が輝くかもしれない。病気って、そういう未来に向けて授かるものなんじゃないだろうか…。

この話を聴いて、まったく、究極のポジティブシンキングだな、と思った。たいていの人が、病気を患った時に“あの時、あんなことをしなかったら、こんな病気にならずに済んだのに…”とか、“日頃の行いの悪さが、この病気の原因なんだ”とか、過去ばかりを振り返って後悔しきりになる。でも、過去は決して変えることはできない。変えられるのは、未来だけだ。なら、病気になったとしても、この事態をどう未来に活かすか、を考えた方が建設的というものだ。

過去をほじくり返して反省をすることは大切だと思う。そこで、きちんと行動の分析を行い、具体的な改善策を講じるならば、だ。でも、ただただ“あんなことしなければよかった”とか後悔ばかりするのでは、いっそのこと過去なんて忘れた方がいいと思う。後悔することでは、過去を現在や未来につなぐことはできない。

ぼくたちは、過去という大地に立って、明日に向かって今を生きている。後悔ばかりしていると、大地はぬかるみになってしまって、足を取られて先に進めなくなる。ぬかるみにするか、固まった土にするのか…それは、そこに立つ本人の意識次第なのではないだろうか。

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